白馬会展覧会(入)

  • 如来生
  • 読売新聞
  • 1898(明治31)/10/23
  • 3
  • 展評

会員の作品にして此他尚見るべきもの多々益々多しと雖も、兎角に倦 厭し易き今日此頃の人心、余輩ハ忍んで作家に対するの禮を欠き、茲に二三外人の出品を妄評して、更に美術協会秋季展覧会に筆を轉ぜん。
ラフアエル、コラン作婦人
大牢の 味ハ藜■と自ら別あり。一世の名手の筆に成りたるもの、之を他 の瑣々屑々の輩の作に比ぶ、固より黄金と鍮鉛との差あるハ云 ふまでもなし。余輩今此ラフアエル、コランがノルマンヂー婦人の一幅に対したる後、満場幾多 の列品に臨む、只其顔料を華麗に手際よく塗抹したるかの 如き悪感情を惹起し来れるハ、そも何の故ぞ。
先づ用筆の点 より仔細に観察せんか、人物を描くにハ最も温雅の筆を以てして、全体 の姿勢に、体格に、俯視せる容姿、物を編める手指、凝視之を久しふすれバ、自然に丸みを帯び来りて、紙幅の外に活躍し、樹木を描くにハ、最も蒼勁の筆を以てして、極めて烈しき光線を現じて眼を刺撃する程の色もなく、陰影と光線との間に区別なきが 如くにして、自然に区別ある、彼の温雅と此の蒼勁と相俟つて両々其妙に臻る。次に着色に至りてハ、人物を写したる色と、樹木を描がきたる色と、何れも能く適切に真個物に相応し、色彩精抜調和の能く整ひたる、絵の具ありて絵の具なく、筆ありて筆なく、人物 ハ人物、樹木ハ樹木と、各清景佳興を眼前に現じ来りて、観 る者をして転に心目を恍惚たらしむ、之を音楽に譬ふれバ、楽手が節奏の妙、律呂相合して純乎其境を想像せしむるもの、洵に 是れ入神の技、他人亦一手筆の加ふべきなし。実に衆人共有の景も之を此の手に入るれバ独り超 越し、衆人共有の意も之を此筆に上せバ雋逸高邁となる、蓋し大手筆といふべき也。其尺寸の小幅にして而かも人をして偉大なる感情を起さしむるもの固より其 所也。
次に夏野の一幅、是れ稿本にして、未だ成画として見るべからざるものと 雖も豪放の筆致、能く郊外の陽光と空気とを現出して其色烈しから ず、且つ最も其手腕の驚くべきハ平地遠近陰影の能く整へるに在 りて、次第々々に近きより遠きに及ぼせる秩序の画然として表現せ られたる、到底凡手の企及する所に非る也。
ウオルタア、クリフヰン作肖像
渾然揮灑し来れるハ、杉子爵の令息某氏の肖像なりとかや、用筆の勁健にして沈着なる、着色の濃厚にして荘重なる、他の吹けバ飛 ぶが如き浮薄なるものとハ一列に見るべからざるもの也。其土着の風習に慣 れざる本邦人の服装を描きたると、其血色を現はさんがために余りに褐色 を用ひ過ぎたるハ惜しむべしと雖も、只此の欠点を以て全幅の技 巧を没了するハ余輩の採らざる所也。
次に春色の一幅こハ作家が人の眼にさはらざる一種の装飾画として描きたるものなれバ、之を尋常普通の風景画として批評するものあらバ、 其愚笑ふべき也。遠近濃淡の度の強く烈しくして、其着色の質実にして十分 の重みある、前幅と相対照して蓋し此の作家が独特の長所なるべし。
此の他マリ、カセツトのパステル画母子着実にして能く其情想を表現し、 ロドルフ、ウヰツトマンが秋の並樹、秋の陽光と描きたる、堅実の筆稱すべし。
列品 に対する批評ハ先づ之にて終を告ぐべし若し夫れ陳列其他出品上に対する意見に至りてハ稿を改めて読者と見ゆる所あ らん。(完)

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