白馬会展覧会略評(四)

  • 守中居士
  • 国民新聞
  • 1897(明治30)/11/12
  • 4
  • 展評

磯野吉雄氏「池の汀」朝暾汀草の露に映じたるが如きさまおもしろし。「田舎の路」樹幹よく画かれたれども道路妙ならず、殊に轍の跡恰もレールの如く見ゆる など拙し。「いねむり」は少も生趣動意なくモデルを倩い来りて画きたるものといはぬばかりの画なり。
藤島武二氏「池畔納涼」の大幅木炭画は一少女花をも ちて榻によれる他の少女に示せる左方に賎の女の過がてにこれを見つゝあり、又右方の池畔に一書生直立して池を眺めつゝある図なり。形状整ひ生趣躍如佳作と す、唯何となくこの図按の小説口画を見るが如き感あるは如何にや。されど成業の後は定めて光彩陸離刮目すべきものあらむ。「逍遥」二少女を画きて佳なるも のながら氏もまた色彩に一種の癖あるが如し。
吾人はこゝに椎塚修房氏の画を評するに先ちいはんと欲するものあり。他なし氏の絵事に忠実なることなり。凡 そ後進の子弟皆先輩の淡掃軽抹一筆よく真を写すを見て其自然の研究を積みたる結果こゝに出てたるを悟らす。漫然その筆意を傚ひ癖を模し、而して以て得たる ものとす。されば先輩落暉を画けばおのれ落暉そのものゝ景に感動したるにもあらず、光線色彩を研究せんとするにもあらず、単に先輩が描きし後塵を追はんと のみなすが故に遂に基礎なきの絵画を作り、不知不識の間邪径に彷徨するに至る、真に戒むべきなり。語を寄す後進の諸子徒らに先輩の筆に傚はんことに労せん よりは其本体につきいかにして先輩かこの筆この色を得来りたりしかを研究せよ。今椎塚氏の画を見るに忠実に叮嚀に自然を写しつゝあるは頗る嘉賞すべきな り。これに反して某の筆、某の画に傚ふて画きしか如き痕跡あるは田中寅三氏とす請ふ速に心眼を開て三省せよ。

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