パリからグレー=シュル=ロワンへ
明治21(1888)年5月、黒田はパリから70キロほど離れた小村グレー=シュル=ロワンを訪れ、以後同地に親しむようになる。この、フォンテーヌブローの森の南端に位置するグレーという村は当時、アメリカや北欧から来た画家たちのコロニー(芸術家村)となっており、黒田ら異邦の画家にとってはなじみ易い環境にあったのだろう。あるいは彼らは、同じくフォンテーヌブローの森に隣接し、ミレーやコローが移り住んだバルビゾンとグレーを重ねあわせていたのかもしれない。黒田も明治23(1890)年夏よりこの村に滞在し、同地を拠点に制作を行うこととなる。
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写生帖25号(Grez、夏図構図) / Sketchbook No. 25 (Composition for Summer, Grez) 1892 紙 / 10.5 x 16.5 cm / 46 枚 KU-c076-25 |
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春霞(下絵) / Study for Spring Mist 1892 紙 / 14.3 x 32.1 cm KU-c036 |
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西洋婦人像 / Portrait of a Europian Woman 1892 カンヴァス / 32.0 x 24.6 cm KU-a133 |
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残雪 / Lingering Snow 1892頃 カンヴァス / 45.7 x 36.7 cm KU-a114 |
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風景(グレー) / Landscape (Grez) 1892頃 カンヴァス / 23.5 x 34.8 cm KU-a022 |