白馬会の解散

  • 黒田清輝(談)
  • 時事新報
  • 1911(明治44)/03/12
  • 7

団体不必要の時機
本年展覧会見合せ
(黒田清輝画伯談)
洋画会の中堅たりし白馬会解散に付て同会に関係深き帝室技芸員黒田清輝氏は左の如く物語れり
△創立の趣意 白馬会は明治廿九年私共が西洋から帰つて来て日本 でも何か画家の会合を拵へて見たいといふ相談が持上つて久米、小代、佐野、安藤、故山本、今田、吉岡、中村、堀江、 今泉、蒔嶋、和田(英)、岡田(三)、小林、佐久間、光村、長 原といふ顔触れで岡倉さんの日本絵画協会からも大分盡力して 貰つた創立の當時聖坂の濁酒屋で話が纏つたから濁酒に因んで白馬会の命名も至つて無雑作に極つた
△政府の展覧会 白馬会の主眼 とする事業は絵画展覧会の開催だつたので幾回か会を重ねて白馬会の展覧会が先づ世間から認められる様になつた其中文部省でも美術展覧会を開催する機運になつた政府の事業として展覧会を開催する方が理想的である事は勿論である謂はゞ我々が創立當 初に期して居た希望が充たされた訳であると同時に又我々が政府の展覧会に力を注いで作品を出すからには自分達の展覧会 には余力を注ぐから勢ひ残滓を出品するといふ事になる夫れでは我々が団 体を設けて更に別の展覧会を催す必要がない即ち個人 として個人の作品を展覧するとでも云ふ事の外には政府の事業と同じ様な展覧会を開くのは重複した事であると云ふ理由から今月八 日の晩に委員達が協議会を開いて白馬会が成立した時と同様 に矢張り至つて無雑作に解散といふ事に極つて了つたのである
△花時の 解散式 従つて今後は会員各自が自由に個人的に大に研究もし発 展もしやう個人としての作品展覧会にはお互ひに応援をする事になつた、で 白馬会が創立當時開会式といふ様な事をしたから今度も恰度西洋へ行つて居る久米桂一郎と三宅克己との両君が来月帰朝する筈 だから恰も花時でもあり解散式を行はうといふ相談が一決したのである 云々

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