白馬会を看る(三)

  • 三角子
  • 都新聞
  • 1910(明治43)/06/17
  • 1
  • 展評

二五五南薫造氏の「ワルタムの古寺」は故浅井忠氏の作に見る様な薄い軽い所を覗いたものだが、二六五の「風景は余り敬服するものも無い、黒田清輝氏作のパステル画では婦人の肖像が殊に大作で其の他の二枚は構図の下画であらうと思はれる、参考室にあるコラン氏筆の木炭草画と比較して見ると一種の味が見えて面白い、岡田三郎助氏の画稿二枚の中「女のあたま」と題した二六三は例の交詢社壁画のエチユードで、藍色のバツクを使つた所などが何と無く木版を見る様で面白い。
第五室に続いて湯浅一郎氏が帰朝土産の水彩画がある、二七一の婦人は西班牙の女の風俗で落筆に面白いものが多く、二八一「アルカサル宮殿の噴水」は壁の色、水の色等に好い所がある。
油絵では二八七の「公園」、二八八の「村娘」が面白い、「村娘」は伊太利風俗の女の半身で氏独特の手法で強い遣りかたが如何にもきびきびして好い気持である、小林萬五郎氏の作では二九三の「船」、二九六の「駅路」とが面白く、矢崎千代治氏の作は二九八の「書棚」と三00の「スタンドライト」とが簡単の手法で物を顕はして爲る所は老練なものである二九九長原孝太郎氏作の「新聞」はモデルが悪いので人の注目を惹かないのは幾分の不利であるが、些の飾気なき筆技に面白味がある中沢弘光氏の作は三一0の「李花」が花やかな日光を顕はして好い気持である、三0四の「築墻」は地面と土塀との色が同一になり過て少しく不分明だが、枯薄などの描法は確に老手である、其他三一二の「夕の富士」の落付いた画も好く「奈良」を描いた三0七など云ふべからざる味がある。
岡野某氏の作は三一五の「春の名残」の洒張りした色彩に軽い味がある、三一八の「三保の富士」と三二0の「夕の富士」とは共に春の色を顕はして柔かい心持がある、小林鍾吉氏の作は「曇の海」に風立つた水と湿つた空の色とを研究してゐるが波に描き足らぬ所がある、三三二の「みをつくし」は気持の好い画が海の中の立木と空との堺が少し堅過る、防波堤も春の海もいづれも色が面白い。

前の記事
次の記事
to page top