白馬会十年間の回顧(一)

  • 黒田清輝(談)
  • 都新聞
  • 1905(明治38)/10/11
  • 1

白馬会の歴史は我国近代洋画の歴史也、白馬会紀念十周年 の展覧会開設に際し首領黒田清輝氏を訪うて左の談を聞 く、文字の責総て筆者にあり(一記者)
△不思議に気が合ふ
初めはお互 に研究でもしながら絵を画かうではないかと云ふので画家計りと限つたのではない文学家 の方もあり又画家でない方の人もあつてお互の楽みにしやうと云ふのが元 のお話であつたのです、それで其私なんかハ帰(外国より)つてから間もなく話 になつたもんですから余り人も知りませぬ、前から知つて居た人、又外の者が知つて 居る人などを加へてやつて見た処が不思議に気が合ふ、新しく入つた人もあつたけれども非常に間が好く今泉秀太郎といふ人が唯つた一人死ん だのみで友達の間でも円満にやつて居たんです、それですから如其云ふ間柄の事 に就て変化がないのです、マア交際の工合ハ平生皆種々職が違つて居 たり何かして一月に一遍宛此十年間続いて寄つて居るのです、初めの中 ハ何でもないのですけれども毎月……疎遠な間でも一月に一遍ハ必ず寄 るのですが幸せに少ないもんですから、それに寄りさへすれバ一所になつて先づ人にも云はれな い冗談を云ひ少しも隔てずにやつて居るのです
△牛丼会の由来
一月に 一遍寄合ふのに何時と云ふ事なく牛丼会といふ名が附いて了つたのです、それ ハ此四五年、五六年も前になりますが二三人の間、赤坂の溜池町に小 さい牛肉屋があつたんです、溜池研究所の直ぐ側にあるもんですから研究所で取 つて食べたり行つたりして居たんですが後にハ此所で寄合をするやうになつたんです、其処に 其牛肉の丼があるんです、そこで其牛丼と云ふ名が附いたのです、それハ三年計り前に潰れて了つたんで名ハありますが実ハなくなつて了つてるんです、其外にハ臨時に友達の内に四五人宛寄合ふと云ふ事も當り前、他人の交際にもありますけれども…

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