白馬会展覧会(三)

  • 日本
  • 1904(明治37)/11/09
  • 3
  • 展評

一、元禄の面影(岡田三郎助) 評判の画であるが錦絵の一歩を進めたものといふのが適評であるらしい。美くしいことは美しい。感じもさう悪くはない。併し 其肉色及骨格に写生の趣味が現はれてをるでもなければ、たゞ綾羅錦羅の中に豊頬濃艶の美婦を点用したといふに止まつてをる。画として見れば、遠近と厚みの ない点が其欠点であらう。併し元来柔かな筆つきでかゝる細緻な物を画いたのは、其長所を利用したものともいふべきで、他に真似をるす者もないといふことは 確かであらう。
一、某博士肖像(和田英作作) 眼鏡をかけ疎髯を生した横向きの肖像で、其人に酷似して居るか否かといふことは別問題として、画として見 れば疎筆の中に言ふべからざる妙味がある。殊に肖像といへば兎角平面になり勝のものが、十分丸味を保つてをる点は注意すべきである。恐らく場中新作中肖像 の白眉であらう。
一、あるかなきかのとげ(同人) お七吉三を画いた大幅で、又た最も名高い。が、更に感服せぬ第一の欠点は、お七といふやうな熱情のあ る女らしくないといふことである。かゝる平凡な男女であるならば、何も昔の小説を理想化する必要を見ぬ。今日の男女で差支はない。苟くも八百屋お七を画く ならば、其人らしく理想化せねばならぬことはいふ迄もない。第二の欠点は衣服が如何にも堅いことで、殆どある処は人形に衣物を著せた、といふやうな処があ る。當時の服装がどうであつたかは多くの研究を要する問題であらうが、吉三の紫色の衣服などは、どうしても役者の好みとしか思はれぬ。口の悪い男が体のよ い人形芝居ぢやといふたのは恐らく適評であらう。又た某画家曰く、今日はまだ物其物を写実することさへ本統には出来ぬものが、それを一転化して歴史的に理 想化せうなどゝは思ひもよらぬことで、余りに自分の技術を信用せぬやりかたである、云々。大家に対して禮を失する言ではあるが、併し當今の画家に対する一 警告たるに相違ない。かゝる似非画幅が跋扈するやうでは、画界も寒心すべきであらう。

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