白馬会瞥見(続)

  • 坂井義三郎
  • 読売新聞
  • 1903(明治36)/10/04
  • 4
  • 展評

余が同会の大多数を評して、概して幼稚なりとなすに二要点あり。其一、同会が尚ほ写生時代を脱せず。抑も写生ハ芸術の最要件なることハ今更喋々を要せじ、同会諸氏が孜々汲々として写生是れ努むるハ洵に喜ぶべきの事にして、真正の大成ハ必ず此後に来るべきを信ずべく、将た同会が将来最も健全なる発達を遂ぐべきの希望も亦た此点に懸れりと謂ふべし。今や同会の諸氏ハ最も堅固なる基礎を築きつゝあるなり。然れども写生ハ芸術の全部にあらざるハ云ふまでもなし、写生ハ芸術の初歩なり、手段なり、終局の目的にハあらず、芸術は写生以上の或物を要す。それ一面の画図之を活かすものハ画家の感興にあらずや。画ハ能く自然生来の真相を写すと共に、復た更らに画家が感興を流露して一種の韻趣を之■■せざるべからず。然らざれば是れ死図のみ、活画にあらず。実物の美、自然の美、之を写して能く之を活かすと将た之を殺すと、全く作家の胸懐如何に係り、又其手腕の如何に帰す。余ハ同会が一層の発達を成し、写生以上の時代を現出せられんことを待つ。固より同会に於て写生以上の感興を示せるもの絶無なりとなすにあらず、否な其感興の一層深からんことを欲すと云ふのみ。是れ或ハ望蜀の要求歟。其二、画面の調子未だ全からざるの感あり。試に同会の諸大家に就て之を見ん歟、黒田、久米、岡田、和田、三宅諸先輩の作や、全体の調子能く諧和して自家の面目を発露し、形相、色彩、遠近、明暗ハ勿論、別に自ら一種の韻致を具へ、興趣頗る高雅なるものあり。翻て之を多数者の作に見るに、流石に形相と云ひ遠近と云ひ、他の日本画家の如き病弊に陥るもの少なしと雖ども、其調子未だ完からず、色調と云ひ、構図と云ひ、多くハ先輩の蹤を追ふて去り、流行の風潮に倣ふて走れるを見る。能く自家の確信を以て立ち、自家の眼を以て直接に自然を研究せるもの少なきが如し。余ハ同会の諸氏が百尺竿頭一歩を進めて、模倣以上に各自の真面目を発揚せらるゝ時期の来らんことを待ち望む。
余ハ決して過酷の要求を同会諸氏に向ふてなすものにあらず。余ハ諸士が熱心に服す、諸士が前途の多望なるを祝す、唯だそれ諸士が着々進歩の途を登りつゝあるを知るが故に、茲に卑言を呈するのみ。我邦の芸術、作者と評者と、共に眼識未だ甚だ高からず、共に尚ほ発達の途上にあることを自覚して向上の一念を忘却せずんバ、以て真正なる芸苑の盛運を庶幾すべき歟、敢て云ふ。
和田氏の模写に係るミレの「落穂拾ひ」とクルベーの「波」とハ、泰西名作の面影を此国人に伝へたるを多謝す。奕々たる生来、漂渺たる神韻、感興の甚深なる、趣致の秀逸なる、其空気ハ動き其人物ハ活き、其雲ハ飛び其波涛ハ声あり。かくてこそ不朽の名品と称すべきなれ。単に形と云はず、色と云はず此名作の発揮せる真生命を掬取せんことハ余等の心掛くべきところにあらずや。
久米氏が清秀なる風景画、近来殆んど其影を潜め復た展覧会場に掲げられざるハ憾むべし。黒田、岡田、和田の三田大家の作に就てハ項を改めて別に卑見を述べんとす。
◎三宅克巳氏の水彩画
三宅克巳氏の水彩画ハ我国洋画界の一異彩なり、其眼と其手と共に百錬の精究を経たるもの、氏や実に白馬会中の一雄將たり。氏の特長と称すべきハ、技術に精勤なるにあり、自然に忠実なるに在り。特に自然の真相を描破すると共にそが感興を写し出さんとして、日夜孜々攻究を止めず、真に芸術を愛するものにあらずんバ曷んぞ能く斯の如きことを得んや。
試に其作に就て審かに之を検すに、一枝一葉、苟もせず、一樹一本必ず其種類を明かにす、皆な是れ透徹せる観察と精緻なる写生より脱化し来れるものにあらざるハなし。且つそれ技巧の精練にして自在なる、種々の描法を試みて、殆んど成効せざるハなし。しかのみならず、従来頗る其範囲を制限せられたる水彩の技法を用て、大膽に萬般の景象を描破せんことを試み、毫もそが陥り易き軽薄の弊を帯びず、其作品の厚重にして着実なる、到底凡手の企て及ばざるところなり。
氏が今秋の白馬会に出品したる約二十余点の中に就て、最も余が心を惹きたるハ、左の四点なり、曰く「雨後の森」曰く「角筈の春色」曰く「緑蔭幽径」曰く「秋」是れなり。
「雨後の森」ハ奥深き森の一端を写し、林端僅かに郊野の遠く開くるところを見せ、意遠く情長く、余韻盡くるなし。特に其色調の蒼雅にして品位の高古なる、雨後洗ふが如き濃緑、森の色と草の色と、共に一種云ふべからざる味を含み、図の一端に残されたる余白の遥空の色と相映発して全図の調子を完ふせり。
「緑蔭幽径」ハ殆んど同一様の意味と色調を用ゐたるが、亦た是れ幽達なる佳品なり。「角筈村の春色」ハ実に構図の妙を極め、スペース、コムポジシヨンの宏濶なる、余をして端なく、十七世紀和蘭の大家ホベマが作「ミツドルアニー村」を想ひ浮ばしめぬ。並樹の遠く列れると菜圃の平遠なるとハ相照応して図取の趣味を深からしむ。色彩又た鮮かにして熈々たる春光の長閑けさを現はせり。「秋」の図亦た鮮麗の色彩を用ゐて、秋樹紅葉の美はしさを写し、図取新奇にして余情転た饒し。其他図題の新たなる、描法の珍らしき、或ハ精密、或ハ疎宕、孰れ佳ならざるハなけれど、徃々くろうとすぎて奇に走りたりと見ゆるもあり。唯だ月下の「芋畑」図の如きハ、余輩凡眼未だ其妙味を悟る能はず。之を要するに三宅氏の水彩画ハ独特の工夫に成り、精究練磨の賜物なり。氏それ自重して益研究を積み、我が軽薄なる水彩画の面目を一新せよ。敢て嘱す。(完)

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