白馬会瞥見

  • 坂井義三郎
  • 読売新聞
  • 1903(明治36)/09/27
  • 5
  • 展評

日毎月ごとに其数を増し加ふる絵画の諸会の多かる内に、特にそが開会の待たるゝハ白馬会の展覧会と美術院のそれとなり。後者ハ稍々衰色ハありながら、尚ほ覇を日本画界に称し、常に率先して新潮を齎らし来る。前者ハ我邦洋画の中堅にして未だ幼稚の観ハあれど、着実の進歩を遂げんとするの勢見ゆ。
頃ろ白馬会の展覧会開かれたるを聞き、我魂早く既に東台に飛びぬ。一日用を帯びて東叡の山下を過ぎり、漾々たる細雨を冒し途を迂して、一たび其会を瞥見し、深くそが年々歳々進歩の蹟著しきを喜びぬ。
概して之を云へバ同会ハ尚ほ幼稚の域を脱せず、(同会中五六の諸大家を除きたる多数に就いて之を云ふ)然り幼稚なり、故に発達の望みあり、進歩の兆あり。思ふに我邦に於ける真正の絵画を振興せむの希望を属するに足るものハ此会ならん。蓋し主導の先輩ありて啓発宜しきを得、後進亦た着実なる進路を取りつつあれバなり。
それ洋画の我邦に伝はれる久しからざるにあらず、然れども真に能くそが真正の発展に向へるハ洵に近年の事に属す。而して其効多く白馬会に帰すべきが如し。蓋し従前の諸会ハ未だ洋画の真髄を伝ふるに及ばすして、先づ既に日本化し去りにき。然り而して余が敢て同会を評して尚ほ幼稚なりと云へるハ決して之を軽んずるにあらず。否な我ハ寧ろ最も多大なる希望を同会の上に置くものなることハ既に云へるが如し。若し不幸にして同会員にして我が此評を聞て憤怒するものあらバ、我ハ却て同会員の為めに悲まむ。そハ同会員にして現在の程度を以つてして早く既に老成を以て任ずるが如きことあらバ、同会の前途知るべきのみ。固より黒田、久米、岡田、三宅、和田諸氏の如き大家あり、皆な多年現代芸術の中心地たる巴里に在りて其技を研きしの人、其他中丸、藤島、長原、白瀧、湯浅、北、中沢諸氏の如き皆な十数年の修練を経たるの人、鬱然として此会の盛観たることハ誰か之を疑がはん。余も亦た諸氏の作を敬重するものなり。然れども諸氏が今も尚ほ少壮の意気を忘れずして進歩の途上に在ることを信じて之を祝するものなり。請ふ余が率直の言を容るせ、敢て感ずる所を述べて諸氏の叱教を仰がんか。(つゞく)

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