秋季絵画展覧会巡覧記(三)白馬会

  • ○生、△生
  • 読売新聞
  • 1903(明治36)/10/07
  • 1
  • 展評

○「紫玉会の入場者の少いのに比べて、白馬会の門前市を為す勢ハすばらしい者だ。無論此秋の展覧会中でハこの会程眼者にも見応へのするものはあるまいし、殊に紫玉会に比べると、全く別天地のやうだが、必しも入場者が同会の絵画其物に大なる価値を置く為ではあるまい。門構への痴者嚇かしに大層なのと裸体画の女好きの人間を惹き寄することが大なる力を有してこの盛況を呈するのだ。堂々たる白馬会がこんな事で入を取るとハ情けないが、目下の絵画界の状態でハ止を得ないのであらう。」
△「画題と作者の名を別に掲げて番号で照らし合はすといふ方法ハ流石見識高いハイカラの白馬会のやりさうな事だが、見物に無駄骨を折らす罪な仕方だ。第一専門家だつて画題を見ないで、其画の意味が分るやうなの計りぢやないし。其の画家の推測も出来ないぢやないし。鑑定家にでも見せるのならいざ知らず一般の公衆に見せるつもりならバ一目了然と分つた方が何の位人助けか知れぬ。誰れが優長に絵画ばかり見て、作家の誰れかを判断して居る暇があらう。どうせ先づ番号で人名をしらべて後に見るのだから、要するに面倒臭くなる計りだ。」
○「和田英作氏の思郷にしても、画の上に萬人が見て直ちに思郷の意を観取するやうに出来てゐないぢやないか、何の絵だか分らんから画題に徴して其のつもりで見るより外仕方がない。」
△「思郷ハ確かに場中屈指の傑作に違ひない。いかにも生き生きとして、両眼に憂を含んだ所もよく、服装の色合もイヤミがなく、殊に帯のあたりハ気持よく絵かれてゐる。この妙味ハとても日本画でハいくら名手でも顕はせない。」
○「いかにも帯から袖へかけて色が古雅で、目に残るやうだが、手が人形の手のやうなのハ甚だ見苦しい。それにこれも背景が人物と調和しない。この女ハ密航婦ださうだが、密航婦といふ特質ハ少しも見えず、只普通の一少女が何をか憂ひてゐるとしか思へない。」
△「夕暮の三保ハ場所の選択が悪くハないか。しかし思郷とハ異つて稍々日本的に出来て清淡の筆致甚だ趣味がある。」
「此とか富士の絵などハ、どうも日本絵の方が品がよくてよいやうだ。殊に富士ハ赤い雲の色があまり強すぎてゐるし、又山が小すぎはせぬか。」
△「しかし雲に勢がある所ハ感心だ。」
○「少女も左程の出来ではないし、見渡した所矢張思郷が第一であらう。吾輩ハ和田氏にハ最も望を属して、帰朝後ハ著しい進歩を見るであらうと待設けたが、洋行前と左したる相違のないのにハ稍々失望した。けれどもこれハ注文が無理で、西洋へいつたからとて直ちに技量が進歩するやうに感ずるのが迷信なんだ。洋画に於てさへさうだもの、日本画家が洋行したとて、何程の効能があらうか。」(つゞく)

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