白馬会画評(七)

  • 都新聞
  • 1902(明治35)/10/17
  • 1
  • 展評

湯浅一郎 の出品総数十八点の中稍大きいのハ磯と題するのと海士と云ふ画とで有るが磯の方が骨の折れた所も見えて実に面白味の多い愉快な画だ。夏の真盛りと見える海岸の大きな岩に烈しい日光が直射して、海の鮮やかな色ハ蒼く澄んで、帆を上げた舟ハ静に其の上を走る所を描いた物で、岩に日の射つた色から水の色まで好く夏の気持が顕はれて居る、然し海に浮んで居る白帆の調子ハ少し外れて居ハ為まいかと思ふ。世人ハ何故大きな作に計り眼を止めて此様云ふ研究をした画に注意しないので有るか実に不思議に思はれるので有る、海士の方ハ形に苦しんだ跡ハ確に見えて居るけれども何様云ふ時に何をして居るのか少し判然しない様だ、其に右の足が左の股から出て居る様に思はれる、只巧いのハ竹篭に画て有る字の色が如何にも墨のかすれた様に見えるので有る。浪の画ハ二枚有るが三0二の方ハ極く手前が少し粗末なのと打寄せた波の岩の上に有る説明が足り無いのが欠点で寧ろ三0六の小さい方が気持から色まで中々好く描つて有る。燈下読書ハ磯に次ぐ傑作で好いにハ相違無いが暗い所の色が何所もかも同じ様で、光りが一体に弱い様で有る、小さい物でハ日の出、漁舟、夜の疊島、生洲、斜陽等が巧い方で有る、日の出ハ水平線が曲つて居るので気になるし、漁舟ハ空も水も色ハ好いが余り気持と云ふ事に過ぎて変化に乏しい様だ、夜の疊島ハ手前の方の右と左から寄せて来た波の淡く白いのハ如何にも好いが桟橋の下の真中辺りハ何と無く急流の様に思はれて海の様に見え無いのハ如何云ふものだらうか、生洲ハ如何にも静かに出来て居るが突き出した岩に當つた日光が二所ろ同じ様なのハ平たく思へるのだ、斜陽ハ最も好い出来で空の暗く成つた時の横日が陸に上つて居る舟に射した様を巧に描いて居る、全体から云ふと此の人の画にハ外国の絵葉書なぞに有る石版の色が多い様だ、研究もして有し面白くも有るが最う一足踏み込んで印刷物らしい色を脱して貰い度い物だ。
黒田清輝 のパステル画の雪ハ奇麗な物だ、鉛筆画の湖ハ遠くの森の描法から人物の形までデツサンを見る様で何所と無くしつかりした所が有て面白味の有る画だ、色鉛筆ハ山の方が好い其にウオスパーの肖像ハ余り好い画でハ無様だ
サルジヤン 筆の肖像ハ鉛筆で世界に有名な物丈あつて実に軽く出来てゐるが其でゐてごまかしの無い所が価値で有る。
岡田三郎助 の木炭画、三点の中三四四の顔が真面目の物だパステル画を見ると同氏の油画を思ひ出す様で、軽い調子で柔かい所ハパステル画に味が有る様だ。
中沢弘光 の水彩ハ渓流と糸繰とが最も好い、スケツチの光丈で描いた物ハ何かの挿画にでも為たら好からうと思はれる、
藤島武二 の版画では石門の戦最も妙、色鉛筆は居酒屋なぞが面白い方だ、
岸畑久吉 の裏店は全体に紫つぽい色が多いのと人間の形の如何はしいのが厭だ。
岡野栄 のペン画は曰く粗。
山下新太郎 の老女は形が無茶だ、パステルは未だ店を広げる迄行か無い様だ。
磯野吉雄 の晩帰は好い加減に過ぎはしまいか之も人物が怪しい物だ。

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