白馬会画評(五)

  • 都新聞
  • 1902(明治35)/10/15
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  • 展評

山本森之助 の首里の夕月、琉球の風物を好く描いてゐる、太き瓦の門、薄明るき白壁、稍暗くなつた遠くの木立なぞ皆それぞれに趣が整つて言ふ可からざる味が有る、然し画としてハ直ぐ下に出てゐる日中と題した画が極めて好い、場内風景画も随分有るが此の画の様に好く研究した物ハ多くあるまい、只難を言へバ手前の草が少し粗末だ、其他琉球の燈台も曇天も皆佳い
小林鍾吉 の木小屋の蔭、暗き垣根の上に芭蕉の若葉の垂れたるを背景として鉋屑を入れし桶に背を向けて大工の小児の桃をむく図、ベツキハ一番好くこなして有る、小児ハ肉の蔭と光との色が汚れて見えるのハ間色の研究が足り無いからでも有らう、画題の選び方が俗向きで無いのハ損な遣り方だ、然し一体が手丈夫に出来上つて重々しい所ハ外の画と異つて居る、船と題した画ハ極めて親切な画で有るが空に使つた縦の点が些か目ざわりの様に思はれる
白瀧幾之助 の通学、亡国の色と云ふ海老茶式部を描いて有るので俗受の好い画だ、然し俗な物を俗として描かずに俗の中から趣味の有る所を見付け出すのが画家の技倆なのだからいつも俗向のみを頼まず、無教育の人間の喜ぶ様な物を描かずに何とか工夫して貰ひ度いものだ、二人の女の右の横向の方が出来ハ好い、其に二人とも腰から下は足が何所に有るのだか少しも解らず、蓮の色なぞも想像に任して描いた様で研究が足り無い様だ、凡て上半分ハ好いが下半分が拙だ、之よりハ晩春と云ふ風景画の方が余程好い
丹羽林平 の紅葉、只大きい丈で拙い物だ
中村勝治郎 の夕暮、夏の終りの漫草静かに夕暮の色に包まれたる様情深し、只近景の草少し暗過ぎる様に思はれるハ如何、洗ひ場と入間川は佳作
宇和川通喩 の読書ハ色が明る過ぎるので人物が前に飛出し相だ、女の右手の簾ハ少し曲つてゐる、其に簾の先ハ何様なつてゐるのか一寸解らないものだ、右手の手首ハ巧く描きこなして有る。

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