白馬会展覧会概評(三)

  • 牛門生
  • 毎日新聞
  • 1902(明治35)/10/19
  • 1
  • 展評

○小林萬吾氏は毎回大物を書くやうだが何時ぞやの門附けが其中で出来て居たと思ふ此度は又一層の大作水難救済会の壁画難破船救助を掲げ評判も宜いはお仕合せのことだ難船に出逢つた人を救助器にて船より下ろす、擔架にて運ぶ、扶け起して架に上せんとする、此非常の場合に大勢の浜辺の男が立働く様を描きたるにて、未成稿と銘打ちたれど、批評するものは現在示されてあるまゝに就て論ずるの外はない、此れは斯く直せば云々との希望を云ふは妨げざるも、今後のことを考へ未成物だからとて其評を為ずに置くといふことは批評の遣り方を誤つて居る、従来我が批評家には斯ふ云ふ連中も多いので、一寸一言しておく。難船の際に於ける空の険悪なる工合はよく写されて居た。船と人物との間に横はれるは巨浪の山であらうが充分に説明されて居ない、人物は一ト通りデツサンを研究して居るが膝の辺りは確かに往ッて居ない、ソレに褌がキチンと真ッ直に書いてあるので造り物見たやうに見へるのもある、右方の走り居る人物は少しく生動を欠いて居る、中央の口の辺に手を覆いて遠くに話し居る如き人物、此は図中で最もよく情が発揮されて居る、如何にも此場合の有様が見へ此一人あるが為めに全図に生動の気を与へて居る、左方の車を転し居る二人の裸体は宛然一ッの体に見へ、褌が前にも言つた如く真ッ直ぐに並び居る為め何ふやら木細工の玩弄物のやうにも見へた、玩弄物といへば車の輪は少々ボール細工の景色があつた、併し彼れ丈けの人数を夫々の姿態に応じて画き、特に裸体なれば一ト通りデツサンの研究をも重ねたる苦辛も認められ、近来の大作人の記臆を値ひしたれば、一層の研究を経て此後の成効を希望する、 (牛門生)

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