上野の各展覧会 白馬会(三)

  • 国民新聞
  • 1902(明治35)/10/03
  • 5
  • 展評

和田英作氏の『秋の夕暮』濃き絵なり日は沈まんとして残光空を焼き裸木 の彼方に家在りて人無く広場には枯草を丘二つに積みたり満目の蕭條夕靄の漸く閉さんとするあたり赤き空の色如何なる塗料を用 ゐて如何にして描かれしか知らざれども実に秋の夕暮にして此境に立たん人 は必ずや一身の詫しきに四圍を顧ざるを得ざるべし同く『水辺』縦 に描かれたり前者とは異りて総て淡く又青く水に浸る叢 の繁がくれに家一つ建つは水車小舎と見ゆ葉落ちたる一幹其屋根の上に出たり水を少く家を一杯に描きたるところに布置の妙あり平淡の中 に寂寞を寓したる此一面は寧ろ前者に優れて多大の感興を与ふ同く『果実』濃き華やかなる絵なり洋綴の書一冊をあしらひ て鳥の来り嘴きしと云ふ絵は知らざれども美く描かれたり如何ばかり油 や強かりけん塗料の裂けを見るも遠き国よりとゆかしさの禁ぜられず同く『夏の 広野』は緑濃き木下蔭に家ありて日は壁にあたれども枝に遮られたり一曲 したる彼方は日あかあかと渡りて照りつくる暑のほども思ひやらる午を過ぐる若干 ならざる日脚のさま巧に描かれて繁る葉の明るきと暗きと幹のあたり地 の上の草にも影あるあたり此絵にては近きと遠きと日あたりの異りたるをよしと 思ひぬ
柴崎恒信氏の『海岸』は大まかなる絵なり岩を噛む浪は勢なく遠き沖将た雲の下りしが如し海の面尚少し広からば布置のみは調 ふべきか
岡田三郎助氏『樹下の老翁』白髪の老翁唯一人枝繁る樹蔭に 距す手は組みて膝のあたりにいづこともなき視線を遠く運ばすが如し横顔なり パーンスなどの詩に往々見ゆる景状にして其詩の句など漫ろに思ひ浮ばしむ

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