本年秋季の西洋画(中)

  • 中央新聞
  • 1901(明治34)/10/27
  • 1
  • 展評

◎白瀧幾之助氏の「月代」は赤松氏の「夜汽車」に次ぐ大作で、又同じく難物である、 一体氏の作は何時もブラシヤンブルーかインヂゴーかと見ゆる一種の色を使用する為め に、兎角画面に温かい快活な心持を欠いて居る、本図の如きも 此の一種の色がバツクに沢山用ゐられてある上に、人物の肉色もネーブルユロウ的 の色が勝つて居るため何んだか陰気に見えて、一層不愉快な感じを深くするのである、それから室内としては余り光線が強過ぎはすまいかとつぶやいて居た者も あつたが、是れも一理ある評だ。
◎湯浅一郎氏の「肥後水俣城山の景」は、なかなか親切な写生である、殊に色彩に一種の雅致を帯びて居る点は、確かに彼 の久米桂一郎氏の長所を彷彿たる所が見える、只だ一の注文は今ま少し 遠山の空気の色を濃くして貰ひたかつたのだ。
◎小代為重氏は沢山スケツチを出して居 るが、どれも是れも見るに足る程のものでない、併し其の中で稍々収るべきものといへば 先づ「海岸の景」位であらう。
◎黒田清輝氏の裸体画は氏が先頃仏国に行つ て居る中に描いたものださうだが、氏が最も心力を込めたといふ腰部以下は、彼 の警官の御指図により布片で蔽はれて居るから、批評も警官の御厄 介にならぬやう細かいことはヌキとするが、露出して居る部分のみを見ても、氏が得意の画だけ近来の佳作たることは充分推測が出来るのである。
◎岡田三郎助氏の 「黄昏」は毫も軽薄の跡が見えず至極着実の描方で、夕暮の 淋しき光景も能く受け取れるが、只だ空の色が余り暗過ぎて重々しくはないかといふ感がある要するに氏は巴里に遊びし以来筆法全く変じ、此作を以て二三年前の作に比すれば殆んど同一の手になつたものとは思へぬ程の進歩である。
◎和田英作氏の「自画像」は面白い色で出来て居て、バツクとの関 係もよく、一寸洒落た画である、風景画の中で巴里の公園かと思は るゝ二面も小品ではあるが、何れも可なりの出来で、一寸目を惹くに足る作 だ。
◎藤島武二氏も数点の出品はあるが、一も熱心の製作を見受けない、林中の写生なども彼是いふ程の事はない。
◎山本森之助氏の「雲の峯」は炎威燬くか如き天空の色合や、熱気を帯べる地上の趣きなど巧みに写さ れて居るは感服。

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