白馬会展覧会(下)

  • 東京日日新聞
  • 1899(明治32)/11/10
  • 1
  • 展評

△安藤仲太郎 の「風景」の一は沼津近在より富嶽を望んだもので山あり丘あり森あり 畑あり出品の晩かつた割合に食ひ足らぬ心地はするが作家の手腕此にありである、強 いて難をいへば少しく重くるしい気味があるやうだ他の一は駒場の景色でアツサリと能く出来て居る
△ 岡田三郎助 の「自画肖像」は態々巴里から送つて来たもので、友達はヤー御機嫌克うと いひたい位の出来、氏が一派に偏せず時々和蘭風などに手を出すは其進歩する所以であらう
△藤島武二 の「雨」は得心なり、どう見ても雨中の真景で、作家の苦心のほどを多とするのである
△和田英作 の「甲板」は明かりの工合に云ひがたい旨味がある、「三島の富士」も落ち付いて能く出来たり、独逸に行つてから の氏の作品は更に幾層の進歩を見ることであらうと思はる
△中村勝次郎 の「暮春」は氏の作中第一に居 るもので、他は稍ゝ見劣りがする、此次にはモツト大作を出して貰ひたいものである
△黒田清輝 の作はいづれも見事 で流石此会の首領の腕前として得心した、就中「ナチユールモルト」は場中第一の逸品、其趣向といひ彩色といひ外に真似手がないと思ふ、評者は此逸品を巴里に送つて誇るこ との出来ぬのが残念でならぬ、其他「外山博士」は彼の尖りたる口端より何か屁理屈でも吐き 出しさうに真に迫つて居る、写真では肖像は書かぬといふ作者の見識はコゝだなと誰も合点 が出来る「少女」も天真の美が巧に写されて申分がない「黄昏」も惚として忘れ兼ねる佳作である
△中沢弘光 の作では「秋の朝」と「漁村の小春」が尤も佳し「賎民」の如きは 作家の得意ほどには買はれぬといふものもある、氏の病は兎角色ではあるまいか
△ヰツマン 「古桶」 「残暉」の如きさすが美まい所がある、此種の出品は我が作家に資するところが少くないから、ますます奮発 して貰ひたいものである、又同氏の夫人の手に成る「菊」は頗る人目を引くに足る、菊花と建物と相映する工合、草むらの如何にも繁く見えるあたり、花と泥土との境を書くにはでなる色を避 けたるなどは用意周到である、強ていへば花びらに水気の乏しく見ゆる位が弱点であらう
△湯浅一郎 の「海辺の逍遥」は全体に於て無難なるも肝腎の面や手が妙に骨立ちてと見ゆるは憾みだ、評者は寧ろ「残雪」を取らんかなだ
△矢崎千代治 の「駅路」は氏の作中の佳品といふ て宜しい、家や人物や先づ申分ないが山の色の少し泥ポイ所が瑕瑾かと思はれる
△柴崎恆信 の「海 辺晩景」は氏の作品中見るに足るもので、「海浜の盛暑」よりは却て勝ると見た

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