白馬会展覧会批評(三)

  • △△生
  • 時事新報
  • 1899(明治32)/11/26
  • 7
  • 展評

△佐野昭作『熊本紀念像の元型』 今度は彫刻の出品はこの元型許りで少しく淋し い感じがするが、その代り等身大のものを場内中央に体裁善く飾り付けたのだから大に 見栄えがした、図は正面に歩兵の聯隊旗手、その左右に騎兵と砲兵の卒 を組合せたもので大体の考案は評者も至極賛成だ、けれども人物の組合せに付 いては何うも感服し難い、成程三人とも徒歩であるから銘々同じやうに突立ツては第一身長 が揃ツて目障りだと云ふので斯くは運動させたのであらう、作者の側から云へば一 通り尤もの話だが図の如く互いに異なる方向を睨むで居ては一体この図は何の状 であるか、大抵の人はその意味を知るに苦しまなければ成らない、そこで評者の想像に拠れば 壊れた砲車などの散乱して居るところに歩兵の聯隊旗手が旗を捧げて前方を睨 むで居る工合からいふと先づ敵の堡壘を占領した場合とも見受けられる、併し左右の両卒 がおのおの反対の方角を睨らむで居るから全然さうとも定められない、或は三人とも通例 の姿勢であツたならば既に占領した後の休憩とも見られるだらう、併し左右の両卒があの通り全身を非常に働かせて居ては夫れも當らない、何うしても図柄で見れば或 る有力なる目的物を睨らむで居る所とよりは受取れないが、扨三人とも同一地点にあツて 三方に目的物が同時に現はれ銘々手分けしてそれを見て居り、夫れも極めて瞬間の場 合であるとするときは迚も自然にあり得られる状とは言ひ難い、よしやこの三人は互に兵種が異 なるに従ひ平生の任務も違ツて斯る咄嗟の場合にもその任務々々に注意した状だといふとも自然は決してさう旨い工合に行くものではない、結局評者等に はこの図は何の有様であるかといふことが十分呑込めないのだ、夫れから後背へ廻ツて見ると両卒の後に引いた足と砲具などの混雑して居るのは如何にも目障りだ、殊に三人とも打揃ツて顔好く拵へあげられたのも面白くないと思ふ、一体作者の考を察するに前にいふた三 人の向きを異にして居るのは何方にも正面が見えるやうにと云ふ工夫かも知れぬ、併しさうすると 前方より見るとして騎兵の向きはまづ我慢も出来るが砲兵は何うも旗手の姿勢を損 害して居るやうに見える、夫れから又左から見ても右から見ても折角旗手が心を篭めて睨むで居る のを其後に後向きの兵士が居てはその甲斐もないかと思ふ、此処は何とか一方に集めて正面には正面の趣味あり側面には側面の趣味ありと云ふやうにして貰ひたかツた、また物質表現の法に付いても 少しく思附いたところがあるが此元型は一度鋳造に用ひたものを修理して出したのだと聞 くから其辺は深く言はない、要するに欠点を遠慮なく云へば右の通りで就中組立 の不調和なることは到底免かれないかと思ふ、けれども斯る大物をこの位に仕上げた作者の苦心 は実に感服の外はない、これで作者の手腕がなみなみならぬことも大抵は知るに足るのだ
以上、目星 いものは大概評し終ツたから筆を擱く、この外に絵画には白耳義人ヰツマン 夫妻の作が数面あるがこれは外国人の画でもあるし、また余り長くなるから止めにした、大体から云へば今茲の展覧会は例年に比して立勝ツて居るとは言へない、白馬会は洋画界 に最も望みを属されて居るのだから来秋は今回にも増して盛大にありたいと評者は念 じて置くのだ(完)

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