白馬会展覧会(上)

  • 如来生
  • 読売新聞
  • 1898(明治31)/10/19
  • 3
  • 展評

会に首領のあるなく、統治者の存するなく、人々自己霊台の本領巍然として立つ所あり、自尊自重一意斯道の開達進捗を規図せんとするもの ハ、白馬会也。故に本会の組織ハ現時世に行はるゝ他の芸術上の諸協会とハ自然其趣と異にし、敢て他の掣肘する所 となるにもあらず、自ら卑下して他の拘牽束縛を受くるにもあらず、会員各自の熱誠以て能く ■■■■(判読不能)■■■■て、徒らに虚名虚誉の他より至れるを甘受するが如き愚を学ばず、活発々地■に天真の美術を発揮せんとするに在り。是 を以て其毎年一回の展覧会を開くや、選ぶ所の者ハ、皆是れ其会員が其一年間洗煉鑽研の余に成りたるものにして、一場に蒐めて自他の研究に資し以て他日の大成を期せんとせるなり、されバ其公衆の縦覧に供するといふも、実ハ其会員が年々進歩の程度如何を世 間に公示するに在りて、彼の初めより一意公衆の展覧展に供するを主として作為したる、所謂勧工場的工芸品一般の絵画とハ、固よ り其選を異にせる也。
斯の如きの趣旨によりて、本会ハ既に三回の展覧会 を重ぬるに至れり。年々歳々人相老ゆるも、其手腕ハ果して幾何の進 歩を見し歟。是ハ固より個々の作品に就て仔細に論評すべしと 雖も、先づ大体の上より之を見る。本会々員諸氏の中にハ、 其個人としてハ青天に平歩し、敢て他の掣肘を受くるが如きことなしと雖も、芸術の上に於てハ、不知不識自縄自縛せられたるの嫌なき歟。芸術家としてハ夢にも忘るべからざるハ自主の念也、各自一個独立の地位を保つに在り、只此の精神あり、以て敢て古人の糟粕を甞めず、敢て天 地萬物の奴隷とならず、活脱円融心手自然に妙合し、進んで自覚 発明する所あるなり、若し其れ然らざらんか、芸術上徒らに他の顰 に傚ひて、卑屈検束せられて、又其範囲以外に逸出する能はざるに終 らんのみ。知らず今回の展覧会に於ける一般の傾向ハ如何なるべきや。
満場 の列品ハ凡て三百有余、内、外人の作品八九点を収む。 就中会員の作品中最も余輩の視線を惹き、
満場の白眉
とも称すべきハ、久米桂一郎作残■の一幅なるべし。農夫あり、一人鍬を肩にして、今日一 日の疲をやすめんとてや、穣々たる田畝の畦をたどりて、家路を指して還り 行ける様、歩一歩動き出さんかと思ふばかり、彼方に見ゆるハ鎮守の森にやあらん、残■の■り此方の松樹の間を縫ひて、朧げに赤く照 り渡れる、明日の天気も星を戴いて稼ぐ身に取りてハ如何に嬉し からんかと、余所目にもしのばるゝばかり、真情真景歴々描到し来りて、此身も亦此 の画図中に引入れらるゝが如し、着色の佳なる、布置結構の整へる、紫派中に在りてハ稀に見る所のもの、或人ハ評していふ、此の一幅洵 に是れ絶妙の筆、用意周到、湿潤着実なる、殆んど作家其人に接するが如しと、適評といふべし、 尚同一作家のものにして、他に観るべきものなきに非ず、然れども既に之を以 て満場の白眉と為す、他は亦之を贅するに及ばず。

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