白馬会展覧会(廿二日紙上参観) 黒田清輝氏の断片

  • 国民新聞
  • 1898(明治31)/10/28
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一体私共の絵は其の時其の瞬間に起つた感じを直ちに写しとると云ふのですから大作の比較的善くないのも無理はないです 腕が足りないからの何んのと云ふのでなく其の瞬間の感じを十日も廿日も持続して行く事が難いからなのです、
色が汚ないと云ふ評が 大分ある様ですが何をスタンダードにして云ふのでしょうか或る人の汚いと云ふのを或る人は又打ち消してるでしよう此は批評する 方が無理だと思ひます日向には日向の色があるし日蔭には日蔭の色があるし日蔭の絵ばかり見て一様に暗い暗いと御仰るが 日蔭の暗いのは常り前でサア、
小督ですかアレは壁画の積りで書いたのですから其の積りで批評して貰はなければこまるシヨールを 着て居る婦人を日本画だと云のは何様云ふ意味か私には解りませんマア日本で画いたのだから日本画でしようよ
素人評もホントの素人評ならいゝですが何様も其の素人が方々の画かきへ行つちやア聞きかぢつて来た事を書き立てるのが多い様で是れでは素人評でも何ん でもありません矢張り美術には美術の批評家が必要ですナ
青年の出来は一体にいゝです中には私なぞ遠く及ば ないと思ふのもあります広瀬のですかアレの中では矢張り岩のある海岸のがいゝでしよう桜の方は締りがありません和田のでは女より三保の富士の方が いゝ様です藤島君の納涼もまア私共の目から見ばいゝ出来ですナ今日貴方の処に出て居る白馬会々員某氏の評と云ふのはアレ は誰なんですか仲々よく評してありますアレに全たく違なしですマリカセツトのを母子の情掬すべしつて御仰いましたが私に云 はせると情掬すべしと云ふより寧ろ能く写してあると云ひますナ日本の今の批評家は皆意匠とか何んとか云ふ事を八釜しく云つて他 は少しも顧みない様ですが意匠ばかりで果して絵が作られましようか此の葬式なぞも世間で非常に批判がいゝ何故 いゝかと云ふと意匠がいゝのだと云ふけれど此れが非常に青年には毒になるのです同じ文章を作つたり小説を書いたりするにも筋とか趣向とか云 ふ事は文を作る事が出来る様になつてから後の話しでしょう白馬会が取つて行く方針も此処なんです
今度は外国人の出品を 多くして貰いました此れは余り世間で乱暴な批評をしますから夫等の人に見せるためと又一つには画かきのため会員のためなん ですアゝ云ふものでも見せませんと書くのに見當が付かなくて何処まで行つていゝやら分りませんからナそれに教室の 中ばかりではいくら進歩しても教師以上に達する事が出来ませんので
見る方も幼穉なれば書く方も幼穉、幼穉の程度はまあ同じ位でし ようダが絵なんかの幼穉はまだようござんすヨ人が迷惑するからと云つてマア灰神楽の中へ飛び込んだ様の気がするとか 黒田の絵を見て逃げ出したとか云ふ位の事ですから、

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