白馬会の裸体画

  • 田岡嶺雲
  • 萬朝報
  • 1897(明治30)/12/14
  • 1

吾人ハ必ずしも裸体即ち卑猥なりとハいはず又必ずしも道徳の杓子定規を以て美術を律せんとするにもあらず裸体が最も完全に人体の天 真を発露するものなることも之を許さん又裸体が曲線の配合を十分に表出するものなるをも之を許さん然れども裸体ハ元来最も人をして卑 猥の実感を起さしむべきものなれバ裸体を画かんと欲せバ最も之を純化せざる可らず実感の美感と相背■せるものにして美なるものハ全然実感の係羈を脱したる処に存するものなりとせバ裸体を画いて美を表出せんこ とハ最難の事なるべく裸体画の最も手腕に待つことあるも蓋しこれが為めの みもし唯漫然裸体を描いて我作物よく最高の美を表出するを得たり とはいはバ真に美を解するものといふ可らざるなり
彼の白馬会に於ける裸体画 の如きハ単にモデルを写生せるのみ画が果して美を発揮すべき作物たらざる可 らずとせバ単に実際を写生せるのみなる作物美術として之を公衆に示 すに足るべき価値あるべき歟何等の美感をも惹起さゞる作物を果して画と称するを得るの権利あるべき歟画にして果して写生以て能事畢れりとせ バ写真と何の選ぶ所ろある此の彼と較して優れる所あるハ此ハ実際 を理想化したれバなり即ち想像の力を以て実際を純化した れバなり此の純化したる所理想化したる所即ち実際の美となれる所美術の写生と異なる所以実に茲に存す彼の白馬会の裸体画の如きハ写生のみ実際の複写のみ若し黒田氏にして果して其技倆を示さんが為めに此画を出したりとせバ氏ハ何故に此写生の上に之を美化するに足るべき多少の意匠を加へざりし乎此が単に花鳥魚虫の写生ならしめバ此を公にするも或ハ可ならん然れども此画ハ裸体を 写せるなり最も卑猥の実感を惹起し易き裸体を描けるなり此を純 化し此を理想化せるものにあらざるよりハ啻に其画の審美的価値を有せざるのみならず或ハ道念弱き公衆を此によつて誤ることなきを保せず黒田氏ハ果して此に対して辞あるを得る歟
吾人ハ必ずしも画に於ても亦彫 刻と等しく裸体の要ありとハ信ぜざれども一概に裸体画を排するものに あらず然れども実感ハ美感を滅却するものなりとせバ裸体画に於て最も実感 を惹起し易き陰部をさへ露出せしめざる可らざるの理何くにかある縦し此 一小部を陰蔽したれバとて所謂最も完全に人体の天真を発露するの上に於て又曲線の配合を充分に表出するの上に於 て何の故障かある此を為して啻に美を減ぜざるのみならず作家の手段によ りてハ却て一層の工をなすを得んのみ縦し又此を陰蔽せざれバとて配するに森厳 の背景を以てし或ハ此を超自然のものとして用ひなバ鉄を点じ て金となすこと難きにあらざるべきを吾人ハ黒田氏の如きハ画家としての意匠を有 せざるものなりといふを憚からず
嗚呼裸体画の如きハ胸襟高潔光風霽月の如きものにして初めて之をなすべきのみ一点の邪念を着けバ則ち不可

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