白馬会展覧会所見(四)

  • 芳陵生
  • 毎日新聞
  • 1897(明治30)/11/27
  • 1
  • 展評

◎北連蔵氏の『魚売』此も大物の一にして苦心の作とは覚ゆれど、何人が見るも其色の余り心地よからざるに加へて、女の腕の長き魚売の足の先 の短きなど、人物の輪廓研究を欠きたるは惜むべし、衣襞も縄の糾られた らんが如し、景色画にては『雨後の月』先づは見らるれ但だ雨後といふ趣は如何あるべきにや
◎藤島武二氏の作には肖像、逍遥、池畔納涼等の人物画あり、軽く筆をすりた る如き画風は、仏に所謂『フロツチー』なるべきも、其全面に渉れる為め面たりにはパステル画の様にも見ゆべし、其輪廓の概たは正しきこと、氏の作に 於て最も賞すべき所、但だ逍遥の一女の指の辺り面白からざるのみ、大 作の納涼氏が得意なるフロツチーに上りし暁こそ待たるれ
◎湯浅一郎氏の『海村の少女』唯 だ少女を立たせて其傍に鶏を添へたる、写真なれば兎も角絵画 としては其組立の余りに幼からずや、少女は少し平た過ぎ、衣の色 も今少し明るからんにはなど思ひぬ、日向と影の別は一と通り得心し たり、景色には『森戸の晩景』筆軽くして本地の風光饒かにも見らるべし
◎長原孝太郎氏は 稍や進歩せる滑稽画を以て既に知らるゝなる人なり、此度は本画を 出だされ、而かも其筆の力ありて画方の正直なる氏が技倆の程を 知るべく又其が将来の期望を卜すべきなり、『矢口の墓靄』情趣味ふべく、『雪景』の 前に立てる木の枝など面白きことなり
◎中村勝次郎氏は根が京都生立の画家なる が、近年研励の効は著るしく此会に見はれぬ、『隅田の雨』前景の筆充分ならざるが為め水の直下するやう見ゆれど、着色充分に雨中の景を 得たり中沢弘光氏の『汐干狩』色に於て見るべく但図柄に合はしては小品なるが損な るべし、丹羽林平氏の『蓮田』他の色の生硬なるはあらで、筆も軽き方なり
◎和田英作、白瀧幾之助ニ 氏の作に就ては既に評せし者あり、今其残れるを挙れば、和田氏は淡々筆 を着け来る処情趣自から掬すべきものあれど、為めに仕事の疎に 趨れる疾あり、白瀧氏は之に反して筆稍や重く仕事も過る程なるは あれど為めに其軽重加減の間の妙趣を失ふとなきにあらず、彼に彼の長ありて景色に長じ、此に此短ありて人物画には長ずるものと謂ふべし 和田氏の『少女読新聞図』顔は輪郭も色も可なれど、其四肢に至りては例の仕事 の疎なる之が煩を為し、輪廓も甚だ危ふ気なり『医師の肖像』も体に同じ難はあるべし、景色画の小品には『花園の小春』鶏頭花の日光 を受けて弥々紅なる処、其色の俗ならざる特に賞すべく水を汲 める少女の姿勢より水の色など何れにおかしからぬはなし、『野塘の薄暮』は例の仕事も 親切にして、暮方の空の趣、枯木の様樹と空の釣合など総て難なく小品中の傑作なるべし、『快晴』の疊点法なる、『犬吠の燈台』の篦にて画けるな ど、研究上面白きことなり、『貝拾』は先づ其組立に於て賞すべき歟、
◎白瀧 氏の『春の浜辺』規模の大いなるは自ら氏の景色画たるに背かざるべし、組立も 面白くはあれど浜辺の色遠近の調を欠けり、『暮色』と『雪晴』筆の力も強過るほどなるは悦ぶべきも、例の仕事の廻る処より、遠景樹木の画方兎角に重く、岩をも画かん筆工合の如く見へずや、『みぞれ』の一画は唯だ此病 を免かれ、遠景は軽く船の辺り力ありて水も穏かなる処、みぞれの情趣描き得て妙を極めぬ
◎美術学校学生の俊才中此会に新顔として現はれたる諸氏こそ筆の痕のなかなかに望多きが見ら るれ、山本森之助氏の画は比較的に輪廓も正しけれど色は何れも寒き方なり 『畦道』を尤とす、広瀬勝平氏は色の柔かなる勝れたり『晩帰』特に見るべし、田中寅三氏の『紀州の浜』 水の色佳なり、磯野吉雄氏の『田舎路』大物としては其組立不充分なれど木と水の 色悪からず、矢崎千代治氏の『九條の朝ぼらけ』丹羽禮介氏の秋、赤松麟作氏の草苅など見るべき所もあるべし
◎菊池鋳太郎氏 の彫刻、合田清氏の彫版、室の一隅我本領を誇れるの風情見ゆ、菊池氏が『枯 野』『河原』を描き、佐野昭氏が今年は彫刻ならで、『冬の野』『多摩川』等を描きたる、人は其 多能に感ずるなるべし、今泉一飄氏の『画家の大難物』『加減乗除』等得意の滑稽画亦妙に客足 を留めつゝあり(完)

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