白馬会絵画評

  • 亜丁生
  • 東京日日新聞
  • 1897(明治30)/11/13
  • 4
  • 展評

展覧、共進、白馬の三絵画会は目下上野に開会中なるが、中最も見るに足るべきもの蓋し白馬会なるべし
同会は画と観者との距離及配置等殊に注意を加へたるものゝ如く、略ぼ整頓したる方とは 見られぬ画中最も人目を惹くものは、白瀧幾之助氏の稽古(七番)仮粧(八番)久米桂一郎氏の冬枯(二十四番)秋の暮(二十五 番)和田英作氏の渡頭の夕暮(四十二番)黒田清輝氏の智感情の三裸体画(七十八番)秋草(八十六番)避暑(九十一番)安藤仲太郎氏の曙(百十番)鳩山議長の肖像(百三番)藤島武二氏の池畔納涼(二百二十六 番)等なるべし
更らに諸氏の作に就きて細評を試むれば、白瀧幾之助氏の「稽古の画」は結構頗る大 なるが而かも能く無難に描き去りたる好き手際と謂ひつべし「春の海辺」亦た景色画中の佳な るものたるを失はず久米桂一郎氏の「冬枯」氏平生の技倆遺憾なく発揮せることにはあらざれども、冬の晩景描き得て佳し「秋の暮」は筆数僅かにして能く其景を写せり「片瀬の砂山」亦た以上同等の出来「江の 浦の夏」は稍ゝ下作なるべし
和田英作氏「渡頭の夕暮」の大作は聞く所に依れば氏が美術学校に於ける卒業製作にて、殆んど半年を費したりと云へば、無論抜目のあるべくもなし若し之を自宅に於て描かば 頗る至難の業なるべきを、幸ひに学校なればこそ好個の大作を得たるなれとは吾人が其画に 就きて感ぜし所なり「貝拾」は海面遠山の調子能く整ひ、貝を拾ひつゝある人物も頗る 妙趣あり「金龍山の暮靄」夕景の趣画に現はれて甚だ佳し、氏の画が多く精緻に傾けども、頗る柔 く且つ巧みに景色を描き去るの技倆多く得難しと謂ふべし
丹羽林平氏の作にては「蓮田」其最 なるものか
長原孝太郎氏は前回にボンチ画を出して非常の喝采を博したるが、今回其を出品せられざ りしは同会の為めに頗る遺憾と謂はざるべからず、今回の作にては「矢口の三日月」好き出来なり「雪の景色」 亦た之に亜ぐ
黒田清輝氏は頗る世評に富みたる人なるが、技倆は其評の高きに背かず、確かなる ものありて存するが如し、今回の裸体画に就て特に「智、感、情」の名題を捉へ来りたる如き、太だ趣味 に富めるを覚ゆ、三面の裸体画中画として優れたるは左方の「情の画」柔く能く描かれたり、次ぎに「避暑の 画」穏當にして極めて綿密、一見、氏の作とは思はれず之に反して「秋草」は筆甚だ疎なり、看者 の多くは此両画の中「秋草」を優れりと為すも、評者は着色の点に於いて「秋草」に劣るとも、其穏當なる点に於いて寧 ろ「避暑」の方を採らんとす、然れども全体の上よりは、作家以上の力ある評者を待つにあらずんば、 優劣孰れとも判し難く、評者は先づ両画略ぼ相似たるの作と評し置かむのみ「砂浜」の画は氏の景 色画中最も落着ありて着色も良く、映射の見合最も當を得たるものならむ、氏の作に就いては尚他に評すべきもの 多きも、要するに氏は最も有力なる画伯と謂はゞ足るべし
安藤仲太郎氏の画「曙」は場中屈指のものにし て、其最も佳なる点は空の模様なり、水に就いては多少の非難を免かれざらむ「鳩山議長の肖像」画は遉 がに肖像画に就いて最も名ある同氏の事とて、容貌能く真を描き得たり、唯だ手に幾分か力の入 れ過ぎたる如く見ゆる嫌はあれど、さりとて非難すべくもあらず、蓋し肖像画の上乗なるもの、
小代為重氏の作多 きが中に「墓所の暮」最たるべし
中村勝治郎氏の作中にては「庭園」の画優れり
丹波禮介氏の「秋」チヨツと佳き出来 なり
佐野昭氏は彫刻家にて絵画に於いては甞て其技倆を知らざりしが、今其出品画を見るに及んで中々の 技倆を有するを見たり、就中「秋の景」は出色のものたるべし
小林萬吉氏の景色画皆夫々の趣はあり其中「郊外の小春」は 下方の地面より中景の水の辺手際に描かれたれど、雲に同様の線あると、中景の樹とは多少 の非点を存するが如し「塩■」「かこゐ船」は好き作なり
北蓮蔵氏の「魚売」は大画なるが、手入れの悪るき所非難 を免れじ、景色画中にては「雨後の月」大いに趣味あるを覚ゆ「残雪」も佳き作なり
磯野吉雄氏の「田 舎の路」佳き出来なるが中にも、二本の樹に日の映じたる見合妙と云ふべし、但し其道路は非難を入る べきものあらむ
藤島武二氏は「池畔納涼」の下画を出品せられたるが、墨画にて見たる所、極めて佳作と覚 ゆ、着色の際能く此趣を失はざらむには、必ず美事なる作を得べし「肖像画」亦た佳作と謂ふべし
広瀬勝平氏の「晩帰」頗る巧 妙の出来なり、景色も能く整ひ、先方より稲を負ふて帰り来る人物の如きも確かに活 動せるものゝ如く見ゆ
山本森之助氏の作にては「海の景色」最も佳し、近景の日光の映ずる工合抔大分の手際は見ゆれど、遠景の山は稍ゝ暗きが如し「畔道」と題せる画も先方より人の進み来る 様子甚だ能く描かれたり
湯浅一郎氏の「海村の少女」余り好き作とは謂ふべからず、鶏の大に過 ぎたる抔共非点たるべし、之に反して「森戸の晩景」はムツクリと能く描かれたり

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