秋の上野(其四)

  • 時事新報
  • 1896(明治29)/10/29
  • 3
  • 展評

白馬会展覧場
半成の画面に向つて言を費すは鳥滸の沙汰なれば、秋の物語に付ては、暫く言ふを廃むべし、
強き色を用ひ又確固たる描方を善しとする久米氏の画風は、時ありてか趣味を傷け鄙調に陥ることなきを保せず、これ後進の殊に難しとする所なり、有繋にそを本領とするほどありて、久米氏の製作は、自由に難関を出入して趣味を害ふことなし、樹林、村落、丘上の燈台の諸作皆好列を示せり、されど是等の諸作は決して久米氏の伎倆を盡したるものと思ふべからず、
安藤仲太郎氏の諸作は、新派の画法に依りたるが如く又依らざるが如し、語を換へて言へば、新旧二派の調和にや将た未調和にや、暫く混沌未分の中にありと云ふべし、諸作の中東寺を最とし清水を次とす、東寺は田圃の間より遠く一叢の樹林を見る、暮色漸く迫りて淡靄樹梢を罩め、五重塔高く雲表に聳えて、これを仰げばいよいよ高し、密教最古の寺塔を写すに最も相応しき材を採れり、白雲一裂青空をあらはす所、稍暗黒に過ぐるの感あれども、満幅幽悽の気を助けて却つて一段の風趣を添へぬ、必ずしも嫌とせざるべし、清水は東寺に比すれば数等の下にあり、其以下は概ね骨を折りたるものにあらず、
中村勝二郎氏の白河、叢林繁きところ一渓通ず、近頃伎倆の大に進みたるを見る、中村氏は京都に孤立して新派を学べるもの、平生相諮るの師友なくして是等の作を成す、力めたりと云ふべし、
長原孝太郎氏の漫画、飲食店の階上最もめでたし、紺足袋を穿ちて牛の如く肥えたる給仕女の立ちながら私語するは、此処彼処にまどゐする客の品定をやなすらん、いといと面白し、軽妙の筆致学び易からず、
藤嶋武二氏の水彩画十面、収穫、樹林、村嬢、桃樹の日光に照らされて長く影を曳くたる、いづれも善し、唯野塘を描きたるものには、十分日光の透らざる節あり、未だ新派の画風に同化し得ざるものも亦有るが如し、
白瀧幾之助氏の矢口の渡頭、老成の風際立ちておもしろし、他の製作と較べて同日に語るべからず、波上の弧舟玩具の如く物の役に立つべしとも思はれず、拙中の拙なり、懸けざるを善しとす、
湯浅二郎氏の諸作、筆力概ね似寄りて白瀧氏の如く巧拙甚だしからず、夕日を写したるかと思はるゝもの就中見栄えあり、
合田清氏の木版数種、生巧館の伎倆は世に知る人多かるべし、
今泉秀太郎氏の漫画、今必ずしも言はず、

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