油絵と見物人(きのふのつぎ)

  • 萬朝報
  • 1903(明治36)/10/03
  • 3
  • 展評

白馬会の隣の紫玉会 是れハ殆んど玉置照信と云ふ人の絵を並べ立てた展覧会と云つてもいゝ位だ此方にハ白馬会程入る人が多く無いが好過ぎて俗眼に入らぬと云ふ訳でハあるまいが、併し多く無い見物人の中の多くがドンナ絵の前に立つかとなれバ、此方も矢張り白馬会と同じ事で、小杉と云ふ人の画いた「暮鐘」「晩帰」等△彩色の底に隠してある 方のだ、「暮鐘」ハ余り別嬪でない海老茶式部が花の盛りの桜の幹と凭り掛つて川向ふの浅草の鐘を聞いて居る、「晩帰」ハ少年の農夫が鍬を擔いで帰つて来るところだ、けれども夕暮の景色に包まれた人物さへ画けバ必ず珍世界的見物人を引くことが出来ると極つた訳でハ無い、珍世界的見物人でも美に対する不■体でハあるまい。真にいい絵を見せられたら奇妙奇天烈感以上の感を起すに相違無い、玉置先生の「感」と題した△気取つた絵 などハモツト好く画いたら屹度人が立つよ、束髪女史が片手に本を提げて片手を胸に當てゝ、青白い彩色を塗られた淋しい景色の中に立て居る、小説を読んで標題の所謂「感」を起したのだらう、珍世界的見物の一人曰く「気障な風の女だが、徃来で癪を起したんだね、可哀さうに」と、大抵是位で今の見物人と油絵の関係が判るだらう、特に見物人と云て置く(おしまひ)

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