白馬会を観て申上候(一)

  • 懶子
  • 国民新聞
  • 1904(明治37)/10/29
  • 6
  • 展評

黄花紅葉の好時季、御地の山野は定めて皆一斉に錦様の衣 を著け居候事ならむ、都市に在る身は何事にも不自由無けれど独 り泉石の清福を享受せられざるは深憾の至に候されど毎年此節東台に開催せらるゝ絵画展覧会は慥かに帝都の一名物にて他に看る可 からざるものに有之候へば、少しく其評判を御聴に入れ可申候。如御承知野生 は美術文芸の作品が唯好きなりといふ迄にして別に燃犀なる批評眼を有し居るものにあらねば、所謂従吾所好的の漫言と知友などの談論とを併せて御覧に入申候候、先づ白馬会より相初め申 すべきか
白馬会展覧会も九回目と相成候が近来に到り著しく野生に感ぜらるゝは、全体の作品が極めて真面目の研究となりたる事に 候當初二三回迄は画題の上にも色彩の上にも唯々先輩の後を追ふのみに勉むるらしく相見へ、従つて会場の作品どれもこれも似たものゝ様なり しが、此頃に至りては然らず、英国風あり和蘭陀あり独逸風ありて最初の如き似而非仏蘭西風のみならす各自に研究して、時に一種の日本風をも観取する様に至りしは斯道の為め実に慶賀すべきの現象と存候、されば未だ名なき青年作家の作にも風趣掬すべきもの少からず候
第一室 にては伊藤直和氏の「霜月の半ば」を野生は面白存候。第二室に入ては先和田三造氏の「暮の務」に眼が著き申候之は伊豆大島風俗 を写せる大幅の画にて中々に親切なる作に有之候色彩 も浮華ならず形似も整たる方に候唯牛のみが較平板に見申候が残念に候同氏の作大島三原山の噴火山の状も能き画 に候ひし。又「為朝百合」「静物」も一顧の値有之候。熊谷守一氏の 自画像は尤も佳作と存候。榎本彦氏の「夕暮の松原」も風韻掬 すべく候。第三室中には中沢弘光氏の「海辺」を白眉と致し候。 後向ける漁郎の形も光線のさまも佳く特に遠景の色彩など洵に佳き感じを与へられ候「雛妓」も亦可憐に候ひき。湯浅一郎氏の「つれづれ」 はよく題意に■ひたる態度を描かれ候哉と敬伏致候併し顔の表情足らずしてモデル離れがして居らぬ所が欠点かと存候。安藤仲太郎氏の風 景画多き中(90)と(92)とを野生は好み申候。其他太田喜二郎氏の「泉」大久保健児氏の「斜陽」など佳作と存ぜられ候
第四室は大家 連のもの多く連ねられ候。岡田三郎助氏の「千九百年巴里の紀念」といふ命 題はあまり妙ならねど其作品は結構にして流石に外国にて研究せら れたる程のことはありと思ひ候「冬」も他に這般の画様多き中にありて慥に 一頭角を抜き居候「元禄の面影」は奇麗に御座候ひしも、やゝこしらへ過ぎた らずやと存ぜられ候「上野霊廟内の一部角」これも矢張画は面白く出来たれ と此題が野生の気に入らず候。次に和田英作氏の「有るかなきかのとげ」と題せる大 幅は近来評判高き彼のお七吉三の画に有之候これは今以つて世間にいろいろと取沙汰申居候て野生の如きは一寸其是非の判断に苦し み申候。由来該画は同氏が多数の月日を費されたる苦心惨憺の作 也と聞及候へば茲に少しく所謂取沙汰なる下馬評を記し尚愚見をも陳述して貴兄の御判を願ふ可候。

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