白馬会を観る(四)

  • 魚田生
  • 時事新報
  • 1910(明治43)/05/22
  • 12
  • 展評

小林真二氏「赤城街道の夕照」山に夕陽の反射した具合が非常に好い、空のコバルトには今少し深味を持たせたかつた、同じ人のスケツチ「静かな流れ」之れも佳作の一に数る事が出来る岡吉枝氏「少女」例に依つて器用な筆ではあるが、バツクが少し不得要領で人物と離れて居ないのと体の丸味が見えないのとは大なる欠点であるが平面に灰色を用ひたのは品位の上から極めて不利益だ「遊蝶花」も前者に似たもので同様の非難は免かれぬ。
牧野司郎氏「日比谷の冬」冬枯れの感じは肯かれるが樹木の観察が如何にも杜撰を極めて居る、地面の一部にも今少し柔かい光が欲しかつた。
近藤芳男氏「稲叢」前者と同じ行き方で比較的難がない、稲叢の影の辺りは今少し強い色が加へたかつた。
此他にも尚小川十藏氏の「海」長谷川昇氏の「習作」鈴木梅月氏の「朝の光」石川伊十氏の「習作少女」要するに此人の作としては余り感服の出来ない方だ。
田中宣三氏「港の夕照」気の利いた絵だが余り筆の繊巧に流れた気味がある。
山脇信徳氏「午前」同一の場所で午前と午後のスケツチが出て居るが午後の方よりは此方が遥かに統一がある「雨の夕」も面白い出来ではあるが全体に勝ち過ぎたコバルトが目に付く。
須田信一氏「初夏の熱海」空の色と前景に多少不調和な処はあるが山の色と筆に面白い特色がある。
相模金三郎氏「くだもの」手際の好い処は認める。
加藤静児氏の「午後の博物館」清水勘一氏の「小雨の海」等数ある中にはまだまだ棄て難いのがないでもないが取立てゝ評する程のものも又少ないので先づ此辺で筆を擱く事にする参考品の部には有益なものが列べられた湯浅氏の模写に成るヴエラスケズのが最も結構でコランの草画は流石に旨いものだと感心した。

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