白馬会を観る(三)

  • 魚田生
  • 時事新報
  • 1910(明治43)/05/21
  • 6
  • 展評

山本森之助氏「雨の山」氏の今度の作品は多く失敗に帰して居るが是のみは流石に敬服す可きものがある、例の周到な観察と精巧な筆に雨中の感じは遺憾なく表はれて居る、「夕凪」と「漁火」とは同一構図で共に海上の一部と空の大部分を描いたものだが何れも不成功の結果を示して居るに過ぎぬ殊に「漁火」に至ては到底同一人の筆とは認められぬ程杜撰極まるものだ。
藤嶋武二氏「滞欧紀念スケツチ」二十余点の小品悉く氏が滞欧中のスケツチに過ぎないのだが中々振つた遣り口で渡欧前の氏の筆とは全然別様の感があるされど自分は藤嶋氏に対しては更に多くを期待して居たので是等の小品のみにては甚だ物足らぬ感に堪へぬ
柳敬助氏「女」大膽な筆の間に面白い処がある「雪の野」は達者には出来て居るが遠景の図其他色彩に慊らぬ処が多い様だ。遠藤格氏「午後」調子の如何にも弱い遠景に今少し強い色を加えて地面に多少の変化を見せたかつた。
出口清三郎氏「初夏の夜」デツサンも不正確だが随分不快な色に充ちた絵だ、然も夜の色は何処にも見出す事が出来ない。
佐藤均氏「夏の池畔」大体に渡つて少し画き過た気味はあるが色にも筆にも一点の厭味なく暑い感じも十分色彩の上に表はれて居る、兎に角自然に対して飽迄忠実なる態度が奥床しく思はれた
川村晋氏「肖像」之れは曾てコスモス会で見た時にも旨い絵だと思つた、全体に柔かい調子に出来て色にも中々棄て難い処がある。
植草四方作氏「海の朝」筆は極めて幼稚だが正直なゆき方が頼母しい。

前の記事
次の記事
to page top