白馬会を見る

  • 木内生
  • 東京二六新聞
  • 1907(明治40)/10/16
  • 1
  • 展評

騒動でもあつた後の様な博覧会跡の荒寥たる上野の秋を是れあるが為めに幾分か賑かにもするだらうと期待して、四五日前開会した白馬会展覧会を見に行つた、 昨年一年は休んだからさぞ立派な作が見られるだらうと思つたが、いよいよ拝見するに及んですつかり失望して了つた、瓦落多物の展覧会とは此の事だらう、残 り物を勿体なささうに並べた様だ、何んだか人を馬鹿にして居る様な気持がする、或は将に開かれんとする文部省の展覧会に出品する為め苦心した大作は茲に陳 列しないで隠して居るのかも知れぬ、其れなら先づ仕方がないから展覧会など開かぬがよからう、開いて見料まで取つて見せる勇気がある位なら、人を馬鹿にす る様な事をせぬのが男らしい、若し之を真面目に見る人があつたら何うだらう、屹度白馬会の最早救ふべからざる悲境に沈淪して居るのを悲むかも知れぬ腑甲斐 ない連中だと思ふ人もあるかも知れぬ、絵など画く事は断念するがよからうと極言する物好きもあるだらうと思ふ、トまあ自分も斯様悪口も言ひ度くなる程愛想 が盡きたが、見た序だから少しばかり端から評をする。先づ
◎鈴木氏の富士山は形や其麓の草まで正確に細かく写生を努めて真を現はさんとしたのは感心だが 是等こそ真実骨折損で御苦労なと申すより外はない、併し稽古の中は此位真面目にすると後に望みがある
◎高木誠一氏の夕陽は此会場に於て最も大きい作だ、 是れこそ広い場所ばかり取つて邪魔になる許りだ、劣悪極まる位の形容では物足りない彼の岩石の極めて不自然な事や、空の色の一面に強よ過ぎる事や、何れの 方角に太陽があるのか分らない事や、一体に散漫の事等欠点を言へば切りがない、斯様なものまで陳列しなければならぬ白馬会も亦窮せる哉!
同じ人の六十七 号の森の道は全く別人の作の様に思はれる、真面目の処が取柄である
◎斎藤氏の不思議なモザイツク風の画は一寸目に付くが是も苦労損位のものだ、元来何か 目新しいもの奇抜なものと徒らに苦心する結果が成り損なって斯う云ふものが出来るのだ、奇抜なもの必しも好いのではない、此式を始めて世に公にしたのは先 頃物故した瑞西のアルプス山画家として知られたセガンチーで其作「死の魂」、「子を失へる親の天罰」等に至つては誠に其類を見ない奇抜なものだが此画など は単に模倣したでは極て無意味なものになつて了ふ、慎むべし
◎中原氏のモデルの画は佳作とは云ひ難けれど真面目の筆致を取る
◎黒田氏の肖像は未成品だ からよくは分らぬが色が見て心持がよいだけで好いと思へぬ、野原に横はる少女の裸体画は薄い調子で柔らかく円みを見せやうとしたのだが乳と腹の辺だけ好く つて手は全く角があつてゴツゴツして居る、
◎和田氏の女の半身像は確した画だが顏の形の余り長い為めか其値を下げる様に思はれる、
◎岡田氏の二百十七 号の少女の半身像は全く話にならぬ程の悪作だ、鼻、口、目等が顏に付いて居ぬのみでなく全体の形が全然こはれて居る絵はがきにでもしたらばよからう、
◎ 中沢氏の霧(とでも称する画)は集中の大作だが是れも少々問題にしかねる難物だ裸体の女がヌツと岩の間に立つて居る間を見ると少しも神神しい感じが起ら ぬ、岩の割合から言ふと此女の体は少なくも二三丈の高さはある様に思はれる、部分の研究は相當にしてある様だが全体はめちやめちやだ、
◎岡田氏の二百五 十六号の美人の画は随分思ひきつて長い顔にしたものだ、帯や袂は板で拵へたものゝ様にいやに四角張つて居る、第一此美人割合に頚が太いが、先づ帯と衣裳と を取リ去つて見ると跡に何が残るだらう、体まで板の様だ色も非常に派手だが氏は黒い色を使ふのは易く派手な色を使ふのは非常に困難だと言つて居らるゝさう だが、成程極めて困難な様だ、
◎山本森之助氏の海岸の松、漸く画らしい画を見るに及んで心持が晴々した、集中嶄然頭角を抜いて居る、先づ其忠実なる写生 に感心する光の研究も充分行き届き光線の反射も幾分薄い様な気持がするが先づ難はない蔭も充分だ、博覧会にも蔭のある画を出したが其れは少し黒過ぎる弊が あつた様だが此画に至つては此弊に陥つて居らぬ、佳作と言つてよからう、
◎水彩画は相変らず三宅氏の作が多い様だ、碌なものは一つもないが三宅氏は大家 だから知らない顏も出来まい。三宅氏の水彩画を一口に評すると石版刷の画と言へば極めて適評だ。曾て氏は中村不折氏と理想派と写実派とに関して非常に議論 をした事がある、氏は写実を主張し中村氏は理想を主張して居るのだ、そこで三宅氏は先の博覧会で中沢氏の「浪」と云ふ写実画に賞があつて小林氏の「誘惑」 と云ふ理想画に賞が無かつたのは審査の一進歩だと主張し大に写実を奨励された事がある、然かし氏自身に書いた此水彩画を見ると全く其主張と反対の様に思は れる、絵具の使ひ方は幾枚見ても同じ事で印刷した様だ、一種の方式が定まつて居る、畢竟写生して画いたのでなく頭で塗つたものだ、写実主義を唱へる人にも 似合はない、先づ熱心に写生でもするがよからう、氏の画は印刷に都合よく出来て居るから、中学、女学校などの画の御手本には適して居かも知れぬが絵画とし ては頗る心細い、

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