秋季絵画展覧会巡覧記(五)白馬会(続)

  • ○生、△生
  • 読売新聞
  • 1903(明治36)/10/09
  • 1
  • 展評

△「第一室でハ吉田六桜氏の夏の海大幅でハあるが、筆が生々しくて色が慣れてゐない、金沢氏の鬼怒川も同様だ。独り伊藤氏の早稲田の夏ハ色取が極めて拙だが、地の布置配列ハよく場所の取方で称すべき価値がある。」
○「小品としてハ悪い方ぢやない。吾々ハ色の出し工合よりも、材料の選択着想の如何で其の人の天才の度合が計れると思ふ。これハ文学の上でもそうであつて、文句修辞ハ修養すれバ達せられるのだから末であるのだ。話が枝葉に渡るが、伊藤銀月といふ人文章ハイヤミがあつて感心せず学問もないやうだが只題目の捉え方がうまい。先日も団十郎の死について諸人の涙といふものを萬朝に書いてゐたが、其の説にハ不同意の個所もあるが、この事実に目を付けたのハ今日散文的の者共の集つた文壇で異数と思つた。」
△「岡田氏ハ着実で誤魔化しが少いが、材料の選択が拙いやうだ。秋景など殊に甚しい。清水寺も其れと同じく着想が感心されぬ、大木の間から塔を見せたなど余り考へがなさ過ぎて折角の技術上の苦心がはえぬのハ残念だ。これにつけても、美術家が技術ばかりに全心を奪はれてゐるべきでハないと思ふ。」
○「同氏のでハ花が第一の出来であらう。意匠が乏しいから勢ひこんな単純な写生を忠実にやる点で成効すると思はれる。和田氏と異なつて相駢馳するのも此の点だ。京の春雨ハ服装がいやだ。微風ハ首が太過ぎ又姿が不自然で、見て窮屈な感じがする。寧ろおれハ皷の方を取る。」
△「北連蔵といふ人ハ大幅を二つも三つも出してゐるが、俗気紛々としてゐるぢやないか。」
○「しかし添乳など、外の窮屈な上品ぶつた画題ばかり取つたのと異なつて、平民的でよい。」
△「素人受けを目がけたのであらうが、一つ黒人ぶつていはうなら、第一色のデクレーシヨンがよくない。明暗の法に適つてゐないし、又人物の色も肉色が出てゐないし、図を見て不快な感じがする。それに背景が悪いから、ますます感興が殺がれる。吹笛ハ一層悪作で、額面の大きいといふ外一点として取所ハない。」
○「第二室中でハ岡といふ人のスケツチが見るに足る。筆が堅すぎて変化に乏しいけれども。」
△「模写の中でハクールベーの豪宕な筆ミレーのしとやかな色共に原画が忍ばれるがダイアナハ左程のものでないらしい。」
○和田三蔵氏の蜻蛤ハ絵画に従事してまだ一二年にしかならぬ人の作としてハ驚くべきものだ。」
△「もう大分草臥れたから後ハ一気呵成にやつつけやう。」(つゞく)

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