白馬会雑言(一)

  • 牛門生
  • 毎日新聞
  • 1903(明治36)/10/17
  • 1
  • 展評

△芸術上の作品展覧などに伴ふ粧飾は、其会の芸術に対する用意と其会の品格とを表はすものなれば、世人は相當の注意を払ふべきだ、今年の白馬会展覧会の入口は是迄に無い凝つた趣向のもので、西式建物の宏壮なるが上に、会員中丸精十郎氏が其の物を仏国で研究して来たモザイク(石片又は硝子片を切嵌して絵画を現はしたもの)に擬して勝利の神が駕を卸して居る所を中央に左方にレムブラン、右方にラフアエルの像を出して居る卵色の壁地に此一種の彩画を挿みたるところ、観の美なるとゝもに自から品種の高きを示して居る、此勝利の神は競技の意を包めるなるべく、双方の顔も非常によく出来て居る、
△紛々たる世間の批評家(?)中には一言も此等の粧飾に及ばず、偶まあれば、癡者おどかしなど罵り去りて団子阪や奥山の見世物同様に見て居るのが新聞紙上に見へるが評者―頭脳のほども思ひやられて寧そ憐れのやうな気がする、
△場内陳列の体裁は額の大小其外釣合等に注意して按排したればキチンと極り居て甚だ好い、作品を其筆者の名の下に一々集めずして斯く陳列したは此度が始めてにて、会では各室に其室内作品の案内を掲ぐるの外目録を出さゞるは、観る人には不便のやうにも見ゆけれど、又先づ目録を見て名ある人の作をのみ選み見るなど、兎角画を見るのでなく―筆者の名に依りて之を観之を評するといふ無意味な馬鹿な従来の観方を破りて、誰れ彼れの筆に拘はらず画其物を観るといふ「くせ」を附ける妙な気ではない兎に角変つた趣向といへば何時此会が率先なのはおもしろい
△出品中には例もの通り美術学校学生のやら此一両年の卒業生のやらも随分多い、会の内外を通じて年々の進歩は慥かに認められ、其描き様が如何にも手際になつて来たので所謂見面が全場を通して好い但し此中には手際よく見せるといふ糊塗の手際を得て居るのもある、此等は内々大に研究する必要があろうと思ふ
△真面目に骨を折ツた作も勿論少からずだ即ち骨を折ツて画くことが出来るまでに進んで来たので風景の中には其図柄の西洋じみたのが是迄よりは多く身受けられる、是れは西洋の雑誌など見て研究を助くることが多くなツて来たので自然其れに馴れる加減かも知れないといふ説がある(牛門生)

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