今秋の美術界(下)

  • 螽湖生
  • 萬朝報
  • 1902(明治35)/10/18
  • 1
  • 展評

△さて手短かに三展覧会を紹介せんに、日本美術院の絵画共進会ハ本月一日より来月卅日迄開かるゝ筈にて場所ハ谷中初音町団子坂より遠からぬ所なれバ菊見の序に歩を枉ぐるも妙ならん、陳列の絵画ハ数百点に上れり
△橋本雅邦氏ハ太公望、蓮花、燕子花等すべて六枚を出品されたり、太公望の他ハいづれも筆数少き小品にて氏に取りてハ朝飯前の仕事ならん、筆力勁健にして気品の高きハ例の如しと雖も、代価の高きも亦例の如く、一枚百五十円と附けられたり、余の見し時ハいまだ売約済の紙片なかりも、久しからずして買手のつくことならん
△現存の画家にして其小品の一枚百金乃至二百金の驚くべき高価を以て速に購客を見出すもの、古往今来雅邦氏唯一人なるべし、これを以て見るも一ハ流行に因るとハいへ如何に邦人の美術を尚ぶの観念が進歩せしかを見るべし
△思ふに雅邦氏が毎年の所得ハ莫大なるものならん、然も聞く所に拠れバ氏ハ寡慾にして蓄財の念薄くいまだ大なる富を作るに至らずと、高風誠に欽慕するに堪へたり
△雅邦氏と殆ど並び称せらるゝ川端玉章氏ハ大に性質の異なれる人なりと聞く、氏ハ最も業務に勤勉にして、潤筆料によりて作る所の画を上下し、日夜孜々として貯蓄に余念なく、富既に十萬金に上れりとぞ、玉章氏の画の雅邦氏のそれに比べて俗気の多き故ありといふべし
△今の社会が真に技倆ある画家に報ゆる所決して吝といふべからざること此二画伯の例に見るべし、吾人ハ常に幾多の美術家が不遇を嘆じ社会の彼等を優遇せざるを憤るの声を聞く、成る程多少の不公平ハあらん、然も今の世にハ伯楽昔の如く稀ならず、彼等にして真に千里の駿ならバ早晩看出さるること確なり、彼等不平をいふの閑あらバ技芸を琢磨せよ
△談ハ思はず岐路に入りしが、美術院今年の展覧会に観山大観一流の妖怪画を多く見ざるハ幸なり、唯一枚大観氏の迷子と題する日本画でもなく況して西洋画にハ似てもつかざる不思議の画あり、御當人ハ定めし得意満々ならんも吾人の眼にハ何等の美感を与へざりき
△寺崎広業氏ハ顔色憔悴形容枯槁せる一人物の土牢内に端座せる図を出されたり、多分護良親王のつもりなるべし、佳作とハいひ難し
△川合玉堂氏の紅露と題するもの最も人目を惹きつゝあるが如し、紅き萩の咲き乱れたるを押し分けて愛らしき少女の姿を現はしたるもの、美しき画なり
△玉堂氏ハ又絶望の夕べなる凄惨なる画を出されたり、これ亦佳作といふべし、此他中島醇泉氏の蛍、上村松園女史の時雨等いづれも多くの注意を以て見るべし
△白馬会と日本美術協会の展覧会ハ共に上野に在り、白馬会にハ黒田清輝、和田英作、藤島武二、岡田助三郎、三宅克己諸氏の作三百余種を陳列せり、中に就きて最も見るべきハ三宅氏の水彩画にして、氏が外国土産の巴里風物のスケツチ十数種いづれも見事の出来なり
△三宅氏の名漸く知られ氏の非凡の伎倆次第に認めらるに至りしハ喜ぶべし、されど世人ハ我邦に猶一人水彩画の名手あることを知らざるに似たり、此人ハ即ち大下藤次郎氏、其作温雅にして親むべく、愛すべく気品高尚にして些の俗気なし、其伎倆三宅氏と伯仲して共に我洋画界の誇りとなすに足る、聞く大下氏ハ不日欧米漫遊の途に上らると、思ふに欧山米水の霊更に氏の美の心に感応して氏の伎倆に一段の進歩を見ん
△日本美術協会の展覧会ハ主として陶器金銀装飾物彫刻等の美術品を陳列して絵画ハ客位にあり、あれやこれやにつきて言はんと欲する事もあれど、はや余りに多く書きたり、如かず筆を擱かんにハ

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