上野谷中の展覧会(八)

  • 読売新聞
  • 1902(明治35)/10/17
  • 6
  • 展評

◎白馬会(完)
△肖像 描かれたるハ伊藤侯にして、描きし画家ハ山本芳翠氏なり。氏ハ親しく侯に昵近せるの人、加ふるに画壇の老手を以てす。其能く真面目に侯を表象し得べきハ固よりいふまでもなし。されどこの肖像ハ侯としてハ余りに余所行的なり。余りに機械的なり。侯の肖像を描きて一見看者をして眉宇の間に能く其侯たるを知るを得せしむるハ、敢て芳翠氏の老手を労せずとも、普通の看板画工も尚能く之を描き得べし、通を描くハ難く奇を描くハ易し、侯の肖像として求むる所ハ其余所行的相貌に非ずして日常生平の容貌を描くに在り。極めて其自然の態度を描くに在り。是れ最も難事なるべし。然れどもこの難事ハ老手芳翠氏にして初めて能くし得べく、他人の企及する所にあらざるべき歟、余輩の敢て之をいふもの、蓋し芳翠氏に待つあるが為めのみ。
△海 海の画四幀共に黒田清輝氏の筆なり。黒田氏今回の出品ハ何れも小幀のみ、大作と認むべきものゝ展列されざるハ、同会の領袖といふ丈に、何となく物足らぬ心地せらる。
今回の列品中、海と題し、波と題するもの少なからず、小林萬吾氏が春の海、海の夕日、波四幀、柴崎恒信氏が海、出口清三郎氏が海、丹羽林平氏が朝の海、中村勝治郎氏が海二幀、湯浅一郎氏が浪二幀など指折り来れバ、此と類似の題目数々あるべけれど、どの海もどの波も大同小異にて、春か秋か、夏か冬か、はた又朝やら夕やら昼やら判然せざる、到底ハ思想の至らず、技巧の如何にもよるべけれど、霊腕一揮何とか斯る個景色を明かに表されたきものなり。さなくバ技術家相互の間に於てこそ、一見其巧拙を批判し得べけれ、素人にハ只其絵の具の塗抹されたる形を無意識に見るのみにて、洵に乾燥無味の感あれバなり。黒田氏の海四幀の中、二六六号ハ如何にも能く描き成されたる如く見ゆれど、小林萬吾氏の殊更春の海と題したるに比べて、たゞの海と春の海とにハ、其処に如何なる特殊の区別の表明されたるべきや、海の如何なる景色に作家の感じて、之を画面に上さむとまで思入りたるかを、明かに看者をして会得せしめざるハ遺憾の次第なり。尤も此ハ啻に如上の題目のみならず、他の風景画にもこれと同一轍に出でたるもの、数多あることゝ知るべし。
要するに今回の白馬会ハ昨年に比して確に進歩したるハ事実なり。唯昨年の如く、裸体画の出陳あるも、警察眼の進歩せしによるか、之に対して干渉する所なかりし為め、子供らしき騒ぎハなかりしと雖も、同会が非常の人気を以て世間に歓迎されつゝあるも事実なり。そハ同会が明治廿九年第一回の展覧会を開きし以来年々着実の進歩を示し、且つ其画の看者に実感を与ふること大なるを以てなるべし。以上ハ只其一斑を紹介したるのみ。其全豹ハ之を現場に臨んで看取せよ。 (明日より日本美術協会評に入る、仏)

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