上野公園に催ふせる白馬会の洋画展覧会に対して、警視庁が 執れる取締法なる者こそ面白くも亦た可笑しけれ、懸け列ねたる油画の中には婦人の裸体を描きたる者数品あり、警視庁は之を以て風 俗壊乱の恐ありとし、細布を以て腰部或は臀部を掩はしめぬ裸体画 なる者が風俗壊乱の恐ありとせば、何故に警視庁は之れが陳列 を禁制せざりしや、蓋し警視庁は裸体の極美テフ芸術論に憚 りて之を断行することは能はざりしならん然る時に警視庁が執りたる局部隠蔽 法なる者は真に笑ふべき愚作と言はざるべからず
局部隠蔽の精神
今日の人何が故に裸体を耻ぢとし、特に腰部を露出するこ とを醜となすや、往古の原人等は赤裸々を以て毫も羞耻と為さゞりしな り、然らば則ち男女が木葉或は布片を以て腰部を掩ふに至れ るは何故ぞや、或は曰く羞耻の為めなりと、然れ共吾人は之を諸蛮民間に於ける事実より帰納して腰部隠蔽は羞耻の為めに非ずして、却 て他性を誘惑するの目的に出でたる者なることを思ふ、夫れ人々赤裸々にして毫も怪まざる時に當り、誰か之を羞耻なりとせんや、彼等に取 りては腰間の露出は頭顱の露出と一般にして他の視線を惹くの力あらざるなり、異状は則ち他の注目を促がすべき広告なり、故に赤裸々を常となせる時に當りて他性の視線を引き其の情慾を促がさんと欲 せば、則ち或は木葉を股間に綴り或は布片を腰部に纏ふ等尤も好個の頓智にして、腰間隠蔽は裸体蛮民中に於ける一世 の才女の発明に非ずして何ぞや、
現に看よ、警視庁が白馬会に厳命して裸体画の腰臀を掩はしめたるが為めに、看客は却て之 に着目し、眼光布背に徹せざるを遺憾とするに非ずや、風俗壊乱とは 観客の心裡に一種の劣情を湧出せしむるを言ふなり、然るに警視庁は厳命を下だして腰臀隠蔽を行へるが為めに、偶々蛮民の才女が木葉を掩ふて他性の愛情を喚起したると同じく、却て邪推を看 客の心に喚び起すに至れり、是れ即ち警視庁が義理人情に通 ぜざる不粋の罪に外ならざるなり、
誰か裸体を描き得る
吾人は美術家文 芸者の裸体画論に異存なき者なり、然れ共理想的裸体画論と、現在の裸体画家とは別物なり、吾人は裸体画に染筆する芸術 家が果して之を筆するに堪ゆるの心的修練ありや否は吾人の知 る能はざる所にして、而して之を知らんと欲する所なり、而して其作物が果して高妙幽雅、之に対する者をして又た肉体的羞耻を忘れしむるや否に至ては、吾人の知ることは能はざる所なり、
若し我国に真正 なる裸体美人を画き得る人あらば、吾人は其前に跪座崇敬する ことに吝ならざるなり、清泉浴止むで天を仰ひで直立せる美人を正面より 描きて、神気澎湃たる者を拝見せんことは、是れ吾人の熱望なり、然 るに滔々たる裸体画は皆な之に異り、或は背面を描き或は側 面を描き、其の正面を描く者は必ず何等の細工を施して 生殖器を掩蔽す、其の心裡既に羞耻劣情あり、是れ既に裸体画家たるに堪へざる者なり、緑鬢金髪を描くと同一の心を以て遅滞 なく陰毛を描くの勇気と精神と修練とあるに非ずんば、彼等は必ずし も警視庁の愚劣干渉に不平を鳴らすべき権利あらざるなり、