白馬会展覧会所見(二)

  • 時事新報
  • 1901(明治34)/10/30
  • 11
  • 展評

△大束昌司筆『秋の暮』 調子が能く整うて居る。秋暮といふ趣も現はれて、黄 ばめる稲の色、処々にある雑草の枯れた色合など、今暮れやうとする自然の風物を写し得 て、四辺にそよそよと物寂しき秋風が、吹いて居るかのやうに思はれる。慾には最う少しくさつく りと、軽く遣つて欲しかつた。同氏の作としては、先ず無難の出来であらう。その外二三の小品もあつた が、この画に比すれば、遥かに劣つてをる
△中沢弘光筆『富士』 小松林の中から見たる富士。ち よつと思付の位置で、変つた所がある。色の工合も活々として居るし、筆の遣振にも快濶の趣が見えて、心持が善い。佳作の中に算へて置かう
△同氏筆『村路』 之れも前の画と同じ筆法 で中景の稲叢の辺から、樹木の模様など、先づは注意が届いて居るといつて善い。遠景 の山も垢抜けのした暖かな表現は、確かに認められる。今一ツは、一方から自然の光を受けて居る所へ、燐寸を摺つて、煙草を喫はうとする光線の反映を現はせるもの、是れにも苦心の跡 が見えて居る。両方の光が顔へ當つて居るといふむづかしい色が、熱心に選ばれて居つて、用意周到。但し少しく火の影が、何うかといふものもあつた
△森川松之助筆『根岸田圃の夕暮』 将に暮れやうとする、根岸田圃の夕景色。模写し得たりといふべきか。色合の薄闇き工合、前の地面 なども、共におもしろい
△宇和川通喩筆『緑林』 同氏の出品の中では先づ是れを取る。新緑の暑 つさうな思ひが、浮ばれて善し。色の変化といふ点には、未だしき所があるらしい
△磯野吉雄筆『女学生の奏楽』 画材の上からいへば、勿論悪くもないが、この画などに対しては、お世辞に も感服といふ言葉は下されない。デツサンとか、組合せとか、割合とか位置とか、総てに付いて頗る曖昧。夫れに肝腎の人物が、皆ミイラめきて居る。腰を掛けて居る方は、骨許りで肉があるやうには見えな い。立つて居る方も、写真屋の遣ふ鉄の突支棒で、押付けて居るかのやうで、余りに堅過 ぎはせぬか。袴や窓掛の色の紫なのも、嫌味の極である。光線は背後からであらうが、更に要領を得ない。失敗の作であると、断言するに憚らない。この外景色画の小品が、二三面 あつたが、田圃の秋色を描いたものなどは、上作である

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