白馬会瞥見(其二)

  • 瞥見生
  • 国民新聞
  • 1901(明治34)/10/25
  • 2
  • 展評

出口清三郎氏の『お百度』是れもナカナカの大作だが之の絵に付きては一言せざるを 得ずだ第一お百度としては中間の人物が歩いて居るのか立ち止まって居 るのかゞ明瞭でない其の上にお百度の神鬮を持ちて居る手が猫の手 に近い之れと同じく総て足も顔に実に不充分で丸るで土左衛門である其れから白地の浴衣を着て居るので有ろうが丁度瀬戸物の着物の 感が有る其れにして爪先きの裾がはね返て居る処などは丁度ブリツキ製の裾 を無理に折形を付けた様であるが周囲の景色は作者の考へは知 らんが朝の様にもをわれて面白い処が有る然し昨年の『花売』より劣る様 だ次に中沢弘光氏の『富士』と『浅春』はナカナカ奇麗の作で筆も鮮明と申 す外はない、次に『肖像画』マッチを擦りて煙草に点火すると云ふ処で一寸の 間に起つたマツチの光が顔に反射して居る処だが作者もナカナカの苦心の上で出来上しものならんが兎角マツチの光りにしては少し光線が強よ過 ぎて居るかとも思はるゝが先づ上出来の方と申す可しだ次に磯野吉雄氏の『姉妹』も可なりの大作だ中の人物は硝子窓の下でバイヲリンを試むる 図だが姉妹とも形が不充分で色も上等の方でなく全体にコテヌリの気持が見へて居る其れに姉妹とも笑を催ふしてるが無意味に見へる其の上に 笑つて居る顔なれば多少美はしき筈の者に反つて厭味に見へるのは作者の心持が明瞭でないからであろう一昨年時代の方が正に上出来の者 が多かつた様に思ふ(瞥見生)

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