白馬会展覧会(一)

  • 雪丸、夏雄
  • 読売新聞
  • 1899(明治32)/11/12
  • 3
  • 展評

不忍の池に初雁の音が聞える頃から、紅葉が散り失せて仕舞ふ頃迄 、上野山でハ諸種の展覧会が開かれるが、白馬会も、今年ハ第 四回と云ふ年齢を以て華麗しく例の棕櫚の葉で彩色板を挿 んだのが飾られた。
殆ど四百点に近い出品数ハ、昨年よりも更に多 い様子だ。順序よく並べられて、各互に異彩を放ちつゝある其等 の金縁の額が、とうとう見た侭を書いて見やうと、全く素人で門外漢の僕等二人をして筆を取らしめた。
今年ハ昨年程の大作も少なく、 是れとして特別に注意を引いたのも多からぬ様だ。が、比較的に凡てが出来の良い方で、その風景画は夕ぐれのぼんやり茶化してあるのが多かつたのハ、争 はれぬ、事実だらう。
客員中にもこれハと感服せしめたのが多い。
△磯野氏の『たそがれの萩』、山門の辺に咲きこぼれた萩が、夕暮の幽かな暗い中に、次第 と暮れて行く処の、際疾い作だが、中々の傑作だ。遠景などハ、よく画 いてあつて、入場するや否や、まづ看客の注意をひくのハ、流石にこれハ巴里博覧会へ出品される者だそうだ。
△広瀬氏の作中でハ、『読書』の少女が一番良 い様である。窪田氏の『雨後の磯辺』も、一寸良く画いてハあるが、二つとも、此位のハ場中棄てる程あるのであらう。
△赤松氏の『社』が、僕等として温い思ひに耽 らしめたが、夕日が木の間から洩れている処など、中々見栄えのある作だ。若者 ハ今少し親切に画いて貰ひたかつた。
△小西氏の出品ハ大分多い様だが、申し悪い事にハ、これとして面白く思つたのも少ない様だ。否、僕等の素人にハ、其作の妙味が味ひ兼ねたのであらう。
△北氏の景色画ハ、どれもこ れも面白い様だが、中でも『夕暮』が最も合点された。その『遺児』ハ非常なる苦心の作だらうよ。昨年下画で見た時よりハ、更に数等器量が良 くなつた様子だ。其夕ぐれの景色も、若者の思ひ沈んだ姿も、遺子 の哀れな様も、よく写してあるが、後の老人二人ハ微笑して居る様子にしか 見えない。今一つ凡ての人物が同じ様に、片足地面に附着て居るのも 不自然でハないか。が、一間半程距てゝ見ると、余程見栄がする。これハ場中第 一の大作である。

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