白馬会評(承前)

  • 亜丁生
  • 東京日日新聞
  • 1898(明治31)/11/16
  • 4
  • 展評

湯浅一郎氏の漁家はなかなかの大作にて之を描くの苦心想ふべく、好所を挙ぐればコンポジシヨンに於て殊に其宜し きに適へるを覚ゆ、描法に於ては漁師の胴以上極めて可なるに反し腰以下多少非難の箇所あるを覚ゆ、要す るに此画の欠点はデツサンの悪しきに帰すべく若し更に意を此点に用ゐたらんには、成功疑ひなかりしなるべし、図面も亦た少 しく長きに失するの嫌あり、但し衣裳の着色は極めて穏かなり、小幅中にては松林を最佳とす、唯だ近景の頼りなきは失 点なるべし
藤島武二氏の池畔、大幅なると苦心の効果の現はれたるとは確かに他の賞賛に値す、宜なる哉好評の此図に向つて嘖々たりしことや、人物の手と足には両者とも無疵、若し強いて微瑕を求めば腰掛下の草色及び池中の蓮葉とも思 はるゝものゝ二つが単純に青く描かれたるに在り、今少しく薄暮らき色を添へたらむには如何、海辺 の春風着色に申分なく春の穏かなる景色画面に躍如たり
山本森之助氏は未だ年少の人の由なるも近々両三年間に於ける伎倆の進歩驚くべきものあり今回も亦非常の勉強を以て出品も多く佳作にも富み或は各先輩の壘を摩するの感あり、挫 折せずして進まん乎必ずや一家を成すに至らん努めよや、出品中評者が最も推す所のものは林間の草花、些の非難を加ふべき点 を見ざるも、望蜀の念より言はゞ近景の部分を今少しく明瞭ならしめたし
ラファエルコラン氏は仏国有名の画伯、描く所のノルマ ンヂイ婦人の画を爰に見るを得たるは観者の目を新にするのみならず優に画家参考に資するを疑はず夏の野と題する写生は氏が嘗て巴里市庁の壁画と して秋と云へる題の下に中央に半身の裸婦人が朶幾朶の紅葉を手にして野外を歩する図を描きたる、其図中左隅一部を画して出品せしも のなりとか、又木炭画の雅曲は巴里公立劇場の装飾として描きたる下画なりと、些々なる着筆中に能く画面を備へしめ、ムツクリと描き去りたる 所、何れより見るも大家の作たるに負かず
長原孝太郎氏は、近来筆をポンチ画に抛うつて真面目の画のみを出品せり昨年に比し漸次進境を見る就中百合花を以て上乗とす
久米桂一郎氏の残暉、久しく大作を見ざりし際珍しくも此大作を見しは蓋し非常の奮発たるべし最も苦心を見るべき点は草の極めて能く描かれたるに在り爰は諸家の細評せし処なれば又た足を画くの蛇を学ばず
小代 為重氏の朝最も佳、空の模様と言ひ、前面の山と言ひ極て妥當にして位置も又適へり
マイリ、カセツト女の母子是れパステルの画、佳作な り好個の参考品たるべし
安藤仲太郎氏の作夕暮最も見るべき大作たり、氏は昨年曙の画を出品し朝か晩かとの冷評を蒙りたるに頓着せ ず其曙に対して夕暮の図を出したる意気甚だ壮とすべし想ふに氏の真意は朝と夕との着色の相違を彼此相対して人に示さんと欲するにあるか其組 立の如き殆ど前回の曙と同一にして差は唯だ親船と小船とに在るを見るのみ、佳所は空と水との色にあり船の着色の如きは 聊か腹し難き処あり干網の如きも前面の丘の如きも着色曖昧にして漫然塗抹し去りしやの疑なき能 はず、小作にては五月雨最も佳、夏木立は只堤の草の僅に見るに足るある外、其青みの一切同色なるを憾む尚足るを求めば馬子若くは他の適當なる人物の配置を為さゞりしを拙とせん(未完)

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