欄外欄 (卅七)日本婦人の裸体画

  • すがも
  • 国民新聞
  • 1897(明治30)/11/20
  • 4

黒田清輝氏の裸体画三面、白馬会の展覧場に掲げられてより、裸体画に関する議論、復た囂し。我輩門外漢、裸体画の是非を知らず、黒田氏の運筆を論ずる能は ず、而も以為らく、黒田氏が白馬会展覧場に出したる裸体画の如きは、之を描くの必要もなく、之を人に示すの必要もなしと。
かく云へばとて我輩は裸体画が 利用厚生に関係なしなどの見當違をなすものにあらず。我輩の議論を簡単に陳述すれば、西洋婦人の裸体画は描くの必要もあるべく、美術家たるもの之を描くに 勉むべきものならん。されど日本婦人の裸体画は、好みて描くものにあらざるべしと。故如何となれば西洋婦人の衣服や、器械的の甚しきものにして、彼の如き 器械的の衣服を透しては婦人天然の骨格を知るべからず、肉被を知るべからず、矧んや所謂曲線の美をや。されば裸体を模型とし裸体画を描かずんば美術として の西洋婦人なし。日本婦人に至りては然らず、日本婦人の衣服は進歩したる世界の婦人服中、最も優美にして最も天然に近きもの也、我輩は日本婦人の盛装を透 して、直ちに其の骨格肉被を推測し能ふ。何ぞ故さらに裸体画を要せんや。裸体画は好みて描くものにあらざる也、美術として日本婦人の裸体画を描くの必要あ らざる也。

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