日本絵画協会批評(八)

  • 九一生
  • 東京日日新聞
  • 1896(明治29)/10/25
  • 4
  • 展評

経正詣竹生島図 小堀鞆音筆
画相を第一とし画意を第二とするは日本画の常弊なり此の画大に此点に注意し たるのものゝ如しと雖も未だ全く其弊を脱したるものといふべからず色彩を施すの巧みなると運筆の熟練なるとは 佳賞すべしと雖も燈篭の空中より落ち来るの感あると神龍の現はれ方甚だ拙なり神龍も雲中にありて全身を露出せざればこそ其の価あるなれ若し遠慮もなく全体を露はして地上に降り来らば香具師に捕へられて浅草の見せ物 となり了すべし龍は矢張龍として半身を霞中にかくし居るをよしとす又其燈篭より下り来りしは如何見物人此の図を評して曰く 燈篭より降りし為めに全身明かなるなりと或は其辺の意味より来れるかも知れず
美人裁縫の図 白瀧幾之助筆
少女 針をとりて新衣を縫ふの処愛猫の来りて鞠に戯るゝ情頗る佳く画題を今日の俗情に求め而し て俗に失せざるはよけれども高尚なる気韻を欠くは此の図の失なり
総評
場中観るに足べきは略之を評せり其他尚ほ論ずべき 者なきにしもあらざるも煩長に渡るを避けて之を略し総評を加へて批評を畢るべし
今回の絵画協会は改良進歩 の第一著を顕したるものといひ得べきも未だ之を以て好成績を表はしたる者と言ふ可らず第一部 は暫く措き第二部中洋式に基きし出品物を観るに其の光沢なくして疎筆なる所木邦に於ける水墨画に近く 且つ一図を作すに必ず数枚の下図を用ゆると線條を尊ぶとの点は従来の出品物と其趣を異にす且つ図按、思想 の東洋風に近づきつゝある事は瞭然たり
元来洋式画家の尚ぶ処は一図をなすにも全く自己の思想を基とし敢て他人の図案をぬすみ来るが如き事なく若し偶ま之あらば直ちに模倣画室に陳列するを常とす故に 美術家は仮令ひ其画按拙なりと雖も皆自己の案出せし絵画にあらざれば出品せず本邦の絵家に至りて は然らず先づ画題を人に求め其与へられたる題に依りて筆を起し稿を立て之を鑑識家に示して其の批評を乞ふ而して後自己の意匠を之に加ふ左れば其画に気韻なく雅致なく精神なく観者をして何の趣味をも起さしめず 第三部出品物中此弊に陥りたるもの頗る多し此の如き了見を以て将来の発達を期し新機軸を出さんとするは 誤解も又甚だしと云ふべし然れども之れを以て単に画家の罪に帰するは少しく酷なり否當路の奨励家も亦た責を辞 する能はず
要するに今の画家なるもの自己の定見なく自信なく風次第で頭を振る張子の虎の如 し而して其の上に立ちて之を奨励する者も冥々茫々として更に其の到達すべき所を知らず我が絵画界の進歩せざるは蓋し當然の事のみ評者は諸氏の更に一段の勇を皷して新方面の開拓に従事せられんことを望 まざるを得ず(完)

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