白馬会新旆を挙ぐ

  • 毎日新聞
  • 1896(明治29)/09/15
  • 1
  • 雑報

美術界亦時に政界に類することあり、洋風美術家旧来の団体明治美術会より近時生出せし白馬会なるもの、気焔常に高く、斯界刷新の原動力を以て称せらる、今日迄の形勢に徴し来れバ、明治美術界は老実なる代りに守旧の空気深く、白馬会ハ年少気鋭進取的歩式を執りて所謂根本的革新を前者に望む爾来刺激百方終に効を見ず、白馬会員乃ち袖を連ねて明治美術会を脱し、自会員の徽章さへ既に定むるに至る、事、実に近日に在りと云、老実なる明治美術会が協賛の路を盡す能ハずして、終に分離者を生ぜしこと、憾むべきが如しと雖ども今将た奈何せん、今日以後吾人ハ刮目両者の運動を見んのみ、
新旧二派の対戦
処ハ上野、時は十月、両者運動の第一挙を見るべし、熱誠の心血を四辺の秋錦に擬へて、白馬を展覧会の陣頭に繰出で、紫旗を金風に飜へしつゝ、優然と進むハ白馬会なるべく、黒田清輝、久米桂一郎、合田清、小代為重、安藤仲太郎、佐野昭の面々を初め青年家にハ和田英作、岡田三郎助、藤島武二其他の諸俊才其勢凡数十人、やわか敵に後ろを見すべき、根岸の本城に鍛へし腕なみ御覧候らへと、明治美術会展覧会の陣頭黒馬の口を取りて声高らかに呼ばゝるは旧派の豪傑明治美術会の御大将浅井忠氏其他同会員の大勢なるべし、浅井氏は頃日其子弟を集めて大声出品を奨め、黒田氏等は此程中大磯に遊びて、青松白沙の間に画場を設け、揮灑月余に亘る、此等ハ悉な前記展覧会の準備なりといへバ、両軍出陣の壮観今より想ふべきなり、
明治美術会の方ハ十月一日より旧博覧会五号館内常置陳列館の場所に開き、白馬会ハ一二日後れて同じ五号館内、明治美術会と館を並べて展覧会を開くと聞く、同月同地、而かも同一館内の対陣、敵愾の気ハ凝りて其製作に発動すべし、新派旧派一払一曳、何れか雲煙過眼に附し去るを得べき、吾人は指僂へて其期の到るを待たん、

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