白馬会の発会

  • 毎日新聞
  • 1896(明治29)/06/10
  • 1
  • 雑報

洋画界四五人の話しが抬ち上つて天之に和し地之に和し人亦之れに和したといふ大業な訳でもなかろうが五十人ほどの発会となツた、時はこの六日処は根津の仙境と聞へた神泉亭‥‥門内に白馬会々場と筆太の立札とは中々威勢がよかツた
白馬と申しても白居易がうたへる『翩々白馬称金羈、領綴銀花尾曳糸』といふ様な白馬も見へなかツた席上しろうまの徳利もなかツた実は白馬会のシンボルとして一杯丈けは侑める趣向もあツたが憾むべし是からは焼酎の時節お尋の品はとのことで折角の趣向も否違になツたとのこと
洋画家彫刻家外に日本画家も見へた太陽めざまし白百合毎日時事さては博文館の人々なども見へた演説などの理屈はなく夜更けまで飲み盡し興じ盡して此に白馬会の誕生式を済ました
無新旧、無南北、和気靄然と根津の森深く罩めた此塩梅で美術家は真箇美術家たる心事を持ち合ふて斯道の発達を謀らば紛紜も軋轢もあつたことかは (ゝゝ記す)

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