画界紛々記(某画伯の談)

  • 日本
  • 1896(明治29)/09/19
  • 3

機運一転洋画の勢力の漸く世間に飛揚し来らんとするや人目も亦漸く是に集注すると共に是に対する注文批評も頻々として至り従て往々其間意見の衝突を惹起するを見るは実に是近来の洋画界也特にかの黒田久米の一派が其紫派の新旗幟を押し立てゝより物議忽ち騒然として画界の天地を動かし爾来新派旧派の称呼を生ずるにつれ美術会中紛々の議常に解けず終に新派は其袖を連ねて美術会を脱し茲に新らたに白馬会の一会を組織して彼に対し今や公々然として壘を一方に築くに至れり、吾人は今此分離に対して必らずしも不可なりと云はず、又其の党派組織に向つて必ずしも不賛成の意あらず、由来画界の事自から俗世間と趣きを異にし其の性質として朋党争奪の如きは大に排斤せらるゝ者なりと雖も画家も亦組織学上別に特種の人体組織を専有するにもあらねば全く仙人めかして高く塵外に住居し得可き者にあらず、其の競争の結果終に派を起し党を結ぶの勢となるは又免れざる所吾人は寧ろ此現象を見て画運隆盛に向ふの兆となし心窃かに画界の為めに祝せんと欲するなり、然れども其朋党の原因単に私人の感情衝突等に起り、精神却つて斯道の上にあらず柄にも無き権謀策略を施し以て小人の争を学ぶに至りては誰れか其陋醜を排せざらんや、吾人は白馬会員に告ぐ而して又美術会員に告ぐ高尚なる美術家を以て立つの諸君は決して這般小人の争を演ぜざるべしと雖も感情の激する所或は事理を弁ぜざるに至る是人間普通の弱点なり、高潔諸君の如きも深く反省することなくんば時に此過失に陥らざるにも限らんや、諸君此際宜しく其の行懸りの感情を抛ち其の総ての標準を取つて画道の上に置き慎重以て斯道の為に盡くせ、対壘反抗も此心よりして起らば其の争ひや君子たらんのみ、記者頃日某画伯に叩き略々白馬会分離等の事情を得たり、時節柄其の談話を介するも亦一興なるべし、即ち左に其の要を録す
◎衝突の原因 新旧両派の衝突は黒田久米等の明治美術会に入りてより起りし者にて其の来歴一朝一夕にあらず其のゴタゴタの小紛議が積り積りて今日爆発を見るに至りし也、志かも其の原因は新旧両派美術的見解の衝突等より起りしにはあらず明らかに之を云へば余り大声にも云はれぬ程の誠に下らぬ感情の衝突に初まりそれも主に美術界旧派の若手連中二三との私交上の衝突に初まりしが如し、元来黒田は門閥の家に生れたれば従つて勢力ある上流社会の後援も少なからず且つは紫派の世評一時に上りし余勢は兎角気焔盛んにして自から人の下風に立つを屑とせずそれやこれやの事情は常に明治美術会の組織を不可とし何事につけても是を改革せんとする風あり、於此旧派に属する人々にても若手連の活気あるものは黙して止まず常に之に反抗するの勢となり其の折合は頗る面白からず為めに会中の老成人株は非常に心を痛め幾度か其の調停策を講じたれど勢ひ中々盛んにして終に纏まる可くもあらず今春に至り白馬会などゝいふが出来茲に愈々破綻の兆候を示したり、一括して云へば今回分離の原因は画道上意見の衝突などいふにあらず専ら黒田派と美術会若手派との感情の衝突と見て置けば大差なき也
◎白馬会設立 の當時小山正太郎なども同会員に抱き込まれたやうに見えしが是も全く小山等が成るべく両者の調停を試みん心にて美術会の老成連は飽く迄両者の破綻を憂ひしなり、近頃の「毎日」に浅井忠が厄鬼となつて旧派の子弟を煽動し以て白馬会に當らしめんとせし様記したれど右は全くカラウソにて現に浅井の如きは大に其分離を嘆き今日尚其調和策を講じつゝあるなり、思ふに浅井は「毎日」に擔ぎ出されて迷惑の事なるべし
◎黒田の勢力ある所以 は其の技倆と其の新奇なる紫派の珍らしき為めとにもあれど其の他に於て彼は一大勢力を有せり、そは彼か華族といふ門閥の関連より気脈を勢力ある上流社会に通じ居る事是れ也、特に文相たりし西園寺との交通如何に彼をして雄飛せしめしぞ彼が美術学校の教員たるを得しも西園寺―九鬼等の関係を知らばワケも無き事なり、當時明治美術会にても表面上同校教師の件につき運動する所あり愈々洋画科を設くるに於ては可及的公平に當路者の選抜あらん事を望み就ては一応同会にも諮問せられん事を願ひし次第なれど黒田が勢力は直に一躍して其椅子を占領するに至りし也、但し此一事は旧来感情の衝突上一大動力を増加したる者なり
◎敵は本能寺に在り かく叙し来れば今回の衝突は全く黒田派対美術会若手派のやうなれど是は一通り表面上の話に過ぎず深く其の起因を探ぐれば敵は本能寺に在りで意外の辺に一勢力潜み実は此勢力の為めにあやつられ居る事を発見すべし、一勢力とは何ぞ、こは美術学校の岡倉が一派なり、由来美術学校の明治美術会に対するは恰も眼上の瘤の如く其歴史上よりするも常に相反目して氷炭相容れざる行き掛りあり、而かも時勢は終に洋画を掲げて美術学校亦之を迎へざるを得ざるの機運に接したれば今は早やそを押ゆべくもあらず終に之を容るゝ事に決したり、されど今更従来の敵を迎ふるも面白からず如何せんと躊躇する折から、かれ新派が旧派に快らざるこそ幸ひなれ、則ち是を抱き込み一は以て彼旧派等に鼻を明かさしめ一は以て内間のゴタゴタを起さしめてあはよくば此機に乗じてそを瓦解せしめんものと終に黒田を擁するに至りしなれ、而して其計策は甘くも適中して今度の紛々はやがて引き越されしなり、思ふて此に至れば今回の紛々も全く岡倉に遊ばれし様のものにて少々馬鹿々々しく成る也
◎明治美術会の出品 十月の例会も右の紛々の為め老成連は稍ゝ出品を厭ふ気味あり此上白馬会と館を并べて開会すれば激したる若手連中又もや一層の火の手をあげ其の反目の極如何なる事を成すやも知れずとの心配より或は今回は見合はすに至るやも計られじ、然し是は老成家の意見にて旧派にても若手連は當の敵の開会を見て尻込むなどと噂さるゝも残念なれば必らず迫つても開会せしむる場合となるべし、何にしろ隣合せに開会する事なれば随分面白き見物なるべし
◎美術学校内の紛紜 これは『日本』紙上にもちらと見えたるが全く事実なり、事の起りは兼て同校の絵画科より抜撰して二名の海外留学生を出すに内定せし折柄今度洋画科新設の事起り黒田の教師として入り込み来り俄かに前議を排し海外留学生の如きは洋画科より出してこそ初めて適當なれ日本絵家が洋行したとてさほどの効能ある可き筈なしとの意見を以て直に西園寺に説きつけ西園寺の方よりして其前議を翻さしめし結果此に一部の反抗となりさてはゴタゴタを持ち上げしなり、但し此事たる未だ洋画科は生徒も入学せざるに早くも黒田はおのが洋画生徒より留学生を出さしめんとせし者にて如何なる性質の生徒が入学するさへわからぬに如斯事を持ち出すは不都合なりとの攻撃頻りなりといふ、何れにしても見ツトモよき事にはあらじ

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