上野の錦繍(各派展覧会)

  • 報知新聞
  • 1907(明治40)/10/14
  • 7
  • 雑報

春は櫻に秋は美術展覧の錦繍もて織り出さるゝ上野季節は到来 した、東京博覧会の第二号館は元の第五号館に代へ らるべき条件の下に残されたのである、此建物にて本年中開設せらるべき既定の展覧会は目下開会中の白馬会、女子絵画展覧会の外 に無声会、読画会、写真会である△元の第五号館と今の第二号館とを比べては兎に角博覧館の建物である丈光線 の取方と云ひ総べての上に今の館が立ち勝つて居るのは言ふ迄もな い、唯々例の雨漏丈は博覧会で特色を示した如くであるので、各展覧会主 は空を仰いではビクビクもので居る△白馬会を一覧したが出品数は三百六十点に達し数の上からは成効だが扨余り抽んでた傑物もないや うだ、其重なるものを挙ぐれば
三宅克己(水彩数十点)中沢弘光(裸体美人外水彩十数点)長原孝太郎(半裸体外数点)小林萬吾(京美人 外数点)岡田三郎助(美人画外一点)高木誠一(夕雲外数点)安藤仲太郎(朝、夕)和田英作(肖像)黒田清輝(野辺外十三点)渡辺亮輔(肖像)橋本邦助(女 の顔)小林鐘吉(嵐の後)
此派の頭梁株は皆文部省展覧会の審査官である から会員の多くは無論歩調を揃へて同展覧会へも出品するに違ひない、こゝ短期間二重出品の御苦労察し入る△次いで女子絵画展覧会を覗いた、この会の起りは国香会女子部が中心であるので、世間 から種々誤解も受けたが本来の趣旨が広き女子美術の発展にあるので固より流派や団体を忌み嫌ひする次第もないので、爾来婦人界 の疑ひも解けると与に四方より出品を申し込むもの多く、狭き婦人間の絵画としては能く集つた方であらう、国香会女子部の会頭たる 柳原伯婦人及び幹事高田博士夫人は役員の手前出品を遠慮されたとは惜しいことである、京都の上村松園女史の如きは日本美術協会へ出品した外此の会へも『春の装』と題するものを出品したさう だ、一覧した重なるものは
中山彩■(秋景)黒沢彩江(遊鯉)福田■月(鴛鴦)金井紫玉(菊慈童)森■湖仙(女児)白幡花■(かざしの 菊)大河内花■(■■)石川小■(彦火出見尊)横山小遠(秋林)
何れも紳士の夫人令嬢の作で、従来はにかんで公開に出品するを避けられた閨秀の作丈、飽迄可憐に、 但し茲に注意すべきことは現今の婦人間に如何に絵画が流行され つゝあるかを察すべしだ△去つて文部省の展覧会場たる元東京博覧会美術館に赴き、係員に就て出品数を聞いた十一日迄の届出での分日本画が六百四十一点、西洋画が三百四十三点、彫刻が四十二点で西洋 画は博覧会の出品よりも多いさうだ、開会は来廿五日で鑑別は二十日から開始し入場料は拾銭ださうだ、出品届の重なるものは左の如く、外には日本美術協会の展覧会あり、今や上野は瀧ノ川 の紅葉よりも紅ゐである
日本画
竹内栖鳳(驟雨)町田仙江(仏画)村田丹陵(大宮人)下村観山(木の間の秋)久保田金■(波)谷口 香▲(山嫗)木島桜谷(しぐれ)橋本永邦(仏画)山本春挙(海月)■井中■(最後の一弾)
西洋画
和田三造(南風)丸山晩霞(白馬)河合新蔵(水彩)大 下藤次郎(夏■)石川寅治(秋雨)満谷国四郎(少女)中村不折(白頭翁)
彫刻
新海竹太郎(ゆあみ)米原雲海(神来)毛利教武(ゆくえ)

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