外人の白馬会評

  • 春坡
  • 読売新聞
  • 1904(明治37)/10/22
  • 1
  • 展評

◎一昨日余ハ元と伊太利の造船技師で此砌り某新聞の従軍記者として我国に滞在中なる公爵D氏と共に白馬会の絵画展覧会を見物した。
◎D氏ハ専門の画家でハない、従て、彼の毀誉褒貶が白馬会の諸俊秀 の作品を軒輊するに足らないのハ無論の事であるが、併し或程度迄ハ油絵も水彩画も描ける人 であるし、又人並の批評眼も持つて居て、殊に絵を好む事食色よりも甚しく欧米到処のミユゼーやサロンで眼が肥えて居るのであるから、素人評として一概 に棄てたものでもあるまいと思はれる。
◎剰へ、D氏が日本人の油絵を見たのハ今度が始 めであるらしいので、誰が上手のやら彼が下手のやら、更に方角が弁らない、其 処で黒田氏の作と見れバ唯訳もなく随喜するとか○○氏の作と見れバ名前見 た計りで拙いものと判断するといふやうナ偏頗の事が少しも無く、済々たる白馬 会の諸名流ハ、金箔もなく、肩書もなく経歴もなく、赤裸々の侭で鑑査官の前に立つた趣があるのハ、批評の公平といふ上に最も都合のよい事になつて居る。
◎D氏が会場に入りて始めて曰つた言葉ハ「アゝ暗い、アゝ暗い、」其次の言葉が「コンナ暗い絵画展覧会場を見た事がない…。」これハ建物其物の罪で、白馬会の諸氏の如何ともすべからざる所であるから。余が種々と弁解したら、最初の間ハ成程々々と頷いて居たが、後で休憩室 を見るに及んで、「コンナ明るい処があるのに何故此処へ画を陳列しな いのだ、休憩室こそ少しく暗くとも我慢もせらるれ」と曰つた時にハ、余も少々弁護の辞に窮した。
◎直言するのハ気の毒なやうであるが、実際の処をいふ と、黒田清輝氏の作ハD氏の眼に止まらなかつた。D氏ハ過日大隈伯と会見した事 があつたから、伯の肖像を示して批評を求めて見たが、一目見て頭を掉つたぎり見 向きもしなかつた。のみならず、第百十五号の園丁の図の如きハ、少し念の入つた悪口 を叩いて居た一つ非常に褒めたのがあつたが番号と画題とを忘れた)
◎欧 州三界から態々送つて来たR.Wytsmanの画ハ、場中でハ評判のよ い方で、某々二三氏の如きハ非常に彼を崇拝して居るとの事であるが、 余ハ一見して其拙さ加減に驚き、これでも欧州人の画かと恐れ入 り、静にD氏の批評如何と待つて居ると、十目の視る所十指の指 す所たいした相違もないものと見えて、D氏も口を極めて之を罵倒し、汚穢物と迄放言したので、余ハ笑ひ乍ら汚穢物とハ余りひどいでハないかと曰つた ら「ナニ?!新聞への通信中へハそんな ペチースハ書かぬ唯此座限りだ」と笑つて居 た。
◎多かる絵画の中でD氏の比較的に感賞したのハ、第九十二、九十五及 び九十六号の景色画であつたが、余ハ其作者の何人たるかを知らない。
◎D氏が暫く目を 留めて視たのハ、中沢弘光氏の漁夫の図であつて、「無論上出来とハ言ひ難いが、骨格も筆致 も殆ど申分ないから、此人ハ将来非常の上手になるに相違な い」と曰つて居た。
◎お七吉三の図ハ評判が好くなかつた、画題が西洋人に分らぬ からであらう(!?)
◎三宅氏の水彩画も大持ての方でハなかつた、悪口も無論曰はなかつたけれど。
◎第百 三十一号及び第二百二十六号(白衣肖像)ハ場中の白眉であるとの評であつた。
◎橋本邦 助氏の小品ハ一般に評判よろしく第二百0四号寺の門(?)に堤燈の吊されて居る分と、第二百 八十一号の絵葉書六枚とハ、殊にD氏の注意を牽たやうであつた。
△明日ハ……新式の左母次郎
秋皐

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