白馬会展覧会(下)

  • O生記
  • 東京朝日新聞
  • 1904(明治37)/10/24
  • 7
  • 展評

第八室は水彩画やパステル画を陳列した所であるが、三宅克巳氏の水彩画は相変らず多数の出品ありて、一区を占領して居る、其中「初秋」はスラツとした描方で構図もよく色調もよく先づ申文のないものと思ふ、「秋の日」は陽光のあたりたる処と影になりたる部分の差別を熱心に研究された結果が見えて居る、「夕雲」は水彩絵具を以て極めて強烈なる色を出すことに成功したもので、氏は定めて其年来の希望を達した 事に満足であらうと思はる、「冬の午後」は愛らしい図である。中沢弘光氏の静物二図は面白く感じた。此次に黒田清輝氏のパステル肖像が ある、パステルの肖像画としては我邦に於て未だ是ぞといふ佳いものを見受なかつた が、今回始めて此絵に接して大変喜ばしく思つた。橋本邦助氏の 「夏の雲」は前景がよく出来て居る、殊に泡立てる浪が面白い、「浅草 観音堂」は一寸観者の目を惹く図であるが、組立が佳いと思ふ。山崎春雄氏の静物二図と岡本謙三郎氏の静物は何れもよく 物質が現はされて居る。児島喜久雄、本野精吾二氏の静物もよく研究が出来て居る。
第九室にて安藤復蔵氏の「夕暮」は好風景で、夕方 の趣が充分に現れて居る。山下久一郎氏の「山下見附」と山下親 純氏の風景は好図である。渡辺銀太郎の静物(二百三十八)は色調 の宜しき写生である。青木繁氏の「磯」は怒涛の岩礁に激して 洶湧せる趣がよく描出してあるが、中部以下が面白いと思ふ。児島虎次郎氏 の習作は忠実な写生である。山本鼎氏の「夏」は蚊帳を 通して見ゆる背景がよく研究されて居る。丹羽林平氏の「梨畑」は棚を洩るゝ陽光を面白く描いてある。亀山克巳氏の「晩秋」「夏の午 後」は両者正反対の色にて描いてあるが共によい出来である。渡辺省三氏の「海岸の松原」も佳い図である。橋本邦助氏の絵はがき三種は 何れも苦心の作と見ゆるが、中にも人と花は絵はがきとして上乗のもので あらう。
次に特別室には岡田三郎助氏の「いづみ」、同氏の習作人物、和田三造 氏の「やすらひ」、それに青木繁氏の「海のさち」と題する大幅の未成品と筆者未 詳の背面裸体画(伊太利古画もある。参考室には仏人ハンノトウ氏の景色 画を始め数点陳列されてあるが、中にもコラン氏の詩の画稿など面白いものである。
尚別室に遼陽戦役にて陣亡された陸軍中尉河野通義氏の戦地に於けるスケツチが数葉ある、何れも弾丸雨飛の間に成つた遺物と思へば観者をして坐ろに哀悼の涙を催さしむ、因に氏は洋画家宇和 川通喩氏の令弟にして平素頗る画を嗜み、多く画家とも 交はつて居たと云ふ事だ。
右の外中丸精十郎氏の出品にかゝるモザイ クと菊地鋳太郎氏の石膏がある、此モザイクは未だ我邦では広く人に知 られぬものであるが、是は追々建築装飾や招牌などに応用せらるゝ望みある もので、カルトン製の模造モザイクなどは頗る軽便なものであるさうだ。又岡田三郎助氏のコレオプラスチーといふ一種の絵革はなかなか面白いものである。
之を要するに同会 も年々漸を追うて進歩の跡が見え、絵画展覧会としての体裁も余 程備はつて来たと思ふ、それで本会の出品に就て大体に感じた事 を概略に述べて見れば、先づ第一にかのナグリ描きの絵画の少くなつて来 た事は非常に喜ばしい。第二に俗に云ふ大作と云ふものも割合 に少くなつたが、是れも喜ぶべき現象であらう、無暗に大きなものを骨をも折ら ずに造作もなく仕上げる様な弊害は一日も早杜絶して貰ひたい。第三に非常に遺憾に思ふことは風景画が沢山で人事的即ち人物の主眼となつた絵画の少いことである現に本会では僅々一二点(和田英作氏のお七等)の外見ることが出来ない、そして風景画としても俗に云ふ山水画が多くて、之に伴ふ建築物又は自然や人為的の面白き配合になつた風景画が大変少いが、これは是非共作家諸君の一考を煩はしたいものである。第四に成功として見るべきは静物画が著しく進歩した事で、大層より経向であると思はれる。以上は所感の一班であるが、来年 は本会も十年目の展覧会に相當するとの事であれば、会員諸君は勿 論出品諸君に於ても尚一層進んで苦心の作品を沢山陳列するの覚悟にて今日より準備せられんことを希望するのである。終りに臨み妄言を謝し併せて本会の健康を祈る。(O生記)

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