白馬会瞥見

  • 赤紐子
  • 中央新聞
  • 1904(明治37)/09/30
  • 5
  • 展評

白馬会が歳並の展覧会は又もや上野の秋を飾ることとなつた。戦雲今 や極東の天を閉して霊神は最不幸なる地位に屈む可 く余儀なふせらるゝ時、此比較的健全なる絵画の展覧が例年程に顧 みられざるかの観あるは致方のないことである。
展覧の方法は昨年の蕪雑とは打替つて甚能く整頓せられて居る。大体の形勢を通観する と、稍著るしく思はれるのは、昨年和田氏の「夕なぎ」に現はれたる如き、夕雲の赤きを地平線近くに有する海景の多いことで、此最たるは山本森之助氏のそれ、和田三造氏の「大島」も亦此類の佳作である。黒田清輝氏は大隈伯の肖像と小品の幾枚を以て質素に代表せられて居 り、藤島武二氏は半和半洋的婦人の胸像数幅を出して淡泊なる色彩と軽妙なる筆と装飾的なる扱ひとを呈出し、岡田三 郎助氏は「元禄美人」の習作とパステルの景色等を捧げて居る。
最確実なる写真家的立場に在るものは、中沢弘光氏の作で、一人の男 が暑い夏の日中に陸上の舟の中に足を投出し、左手を 眼の辺に挙げて日を除けつゝ海の方を眺むる処、外光の明 るい美くしい色は、少からぬ快感を吾人に与ふるのである。湯浅氏の婦人窓に凭る図は肉色に多少の遺憾はあるとしても、極めて真面目の作衣服は殊に善く出来て居る。
和田英作氏のお七吉三「恋の曙」は評判もので画題の単調を破つて面白いけれど、吉三に女のモデルを用ひた る痕を留め、家屋の遠近法の急に過ぎたるなど欠点に数へられるであら う。三宅克己氏は独特の水彩画を以て、青木繁氏は例ながらの神秘的 絵画を以て場内に異彩を添へて居る。年少作家の中では橋 本邦助、和田三造等数氏が秀出して居ると思ふ。(赤紐子)

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