白馬会瞥見

  • 香夢生
  • 二六新報
  • 1900(明治33)/10/25
  • 1
  • 展評

△中村勝治郎氏の「樹下の小児」 腕白盛の男児が菓実を採らむとして枝を撓めて居 る所である、衣服は能く出来て居るが、木の間を通してモレ来た光線が もの足らぬやうに思はれる、又た下絵が不確であツた為め手が大き過ぎてシマリがな いやうだ△藤島武二氏の「浴後」 湯上りの美人が斜に床几に腰をかけて、膝の上にサ モ涼しさうな浴衣を上せて、無心に手の爪をキツて居る所でナカナカの出来だ、 人はサマザマで、モデル臭いとか、腰から下がマヅイとか、足が太過ぎるとかいふが、これは盲評たるを免れない、光線の工合や、皮膚の色合や、線の工合などは申分 がない、殊に肩の工合と足の工合とはヨク出来て居る、欠点と思 はるゝ部分は肘が平く見えるのと、乳が少々可笑く見えるのとの二点 であるの画報を見よ(本日の画報を見よ)△黒田清輝氏の作 本年は洋行中のことゝて大作とて はないが、何れも軽妙を極めて、数多の列品中独り異彩を放ツて居 る、殊に「海草採集」の画が面白い、或人の言ツた通り、かゝる画風であると油絵の嫌ひな人にも少しは解るだらう、この画に対すると何んとなくミレーの小品に対 する思ひがする、△小林萬吾氏の「門付」 思ひつきのヨイ題目だが、個々の関係が薄 いためか、ドウも活気がなく、又必要のない所に力を入れた気味がある、其から空 と地面とに申分がある、地面が少し粘土然と見える、シカシ、衣服の 皺は非常にヨク出来て居る、後景の小児は寧ろなくもがな(明日の画報 に現はるべし)△長原孝太郎氏の「子守」 キラキラと晴れ渡ツて居る夏の日中に、少女が児供を背負ツて、右の手に日傘をさし左の手に蜻蛉を飛ばせつゝ草原 を過ぎるといふ清新な趣向である、児供の何も知らずに頭を後の 方に垂れて眼つて居るサマや、少女が児供に日のあたるのも知らずに夢中になり て途を急ぐさまが真に迫ツて居る、ソシテ衣服と草と森との色の配合が面白い、草は前景の方が能く画いてあるが、これに比較して中景の草 は無造作である、細く言へば、日傘と森との隔りが全るで見えない、少女 の右の袖が堅く見えて皺の出方が不手際である少女と児供との衣服が同じやうな色である、為に見栄えがない、これ丈の画きコナシをして何ぜコ コに気がつかなかツたか、又児供の手と足とが人形の手足のやうに見え、少女の手が不十分であるやうに思はれ、ソレカラ又落ちた影が重みのあるやうに見える、
本 日限りで完結の考であツたが展覧会の方も廿七日迄日延となツたため 尚ほ一両日続くることゝした

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