白馬会一見記(承前)

  • 罵倒先生
  • 日本
  • 1900(明治33)/10/31
  • 3
  • 展評

長原幸太郎氏の作、子もりの一画は場内の曲りかどに掛りぬ、議題乃至其の仕組は流石におかしと覚ゆるも彼の背だけ低きに似つかはしからぬ大頭の子守は、さ しづめ脳水腫などにやあらん、右手に日傘をかざして左手に蜻蛉を追ふは、サテこそ左きゝの子守と覚えたり、殊に最も不快の感あるは其の色彩なりとす、毒舌 家は評して曰く、彼が色合は一旦胡粉の上に色づけたる土人形の、やがて其色剥げ落ちて木地なる胡粉のみと成り了せたるに似たりと、余りに執拗なる皮肉評な りと雖ども、亦た能く形容し得たるものなきにあらず蓋し我の見る所を以てすれば、白馬会一体の色彩は■して黄色乃至赤色の色素に欠缺せるが如し、人は曰ふ 是れ後輩の気焔盛なるが為め黄や赤はよりつけざるなりと、冷評と雖ども亦一顧せざる可らず
小林萬吉氏の『かどづけ』亦場中有数の大物なり、主要の人物 三、一人は歌ふたひ、一人は三味線ひき、而して一人は傍に之れを顧る、更らに遠景に人物あり、概して位置も面白ろく、衣服の凹凸も亦た可なるが如し而かも 人物の四支に欠点多く、三味線ひきの食指は中途より腐敗せるかの■あり、足も天■病者のそれならずやと疑はれ、傍に顧み居れる女児の足部の亦た木製めきて 動くべき感なし、且つ全体の上より品位卑く色彩■■にして陰鬱なる所、陰気なる浮世絵との評を下さしむ、蓋し當らざるも遠からじ
黒田清輝氏の作品は其洋 行中との故を以て大作を見る無し、是れ罵倒先生をして大に失望せしめし所以、片片たる小品物はこゝに評価するも小面倒臭し、只中に一ケの肖像画の多少見る 可きあり、其高低の調子など甘しと云ふ可し、而かも色彩余りに乾燥して之れを打てばカンカンと鳴るべき心地するは不可、彼は植物質乃至鉱物質をあらはせ ど、動物質の感を発揮する能はざりしなり
ラフエルコラン氏は仏の大家、今彼が描く所の木炭画二枚を見る、流石に練熟なる大家の筆力、碌々の徒の学びがた き所あり、其の慎重沈着なる色、其の剛柔高低の感、殆ど遺憾なく、人物の骨格筋肉一般に整ひたり
藤島武二氏の裸体婦人は次ぎに人の目にうつるもの彼が苦 心の作なるは一見して之れを知るべく、一見して知らるゝほど苦心の痕あるは即ち其未だ及ばざる所以たるべし、然り彼は余りに苦心過ぎたるの結果、堅く剛ば りぬ、為めに女子の体格は男子の体格と変じぬ殊に其臀部一帯の部は殆んど円味を失し宛として板の如き感あり、而かも位置及び色彩の配合は以て賞すべく、一 般の感じも亦左程悪しからず
中村勝次郎氏の作品一言以つて之れを評す、曰くイヤハヤ
安藤仲太郎氏の夏の海岸は某紙の賞賛する所にかゝれど、我は果して 其の何の点が賞賛に価せしやに惑ふものなり、見よ彼が描ける流動体は固形体らしく変じて少しも動揺せざる水を作せるに非らずや、而して固形体は流動体と化 してシマリなき家屋乃至地面を作せるにあらずや
矢崎千代吉氏の草花は彼のウヰツトマン女子を学んで学び得ざりしもの、彼の精細なく彼の水気なく、彼の遠 近なく、差引残し得たるもの只一抹の緑色絵具の残滓のみ
エミールヲールリツク氏の作なるものあり、彼作者は那辺にかありて版下画工たりしもの、今や来つ て我邦にありといふ、彼の版下画は仏国に於て一等の牌を得たりしとかや、一見頗る奇にして妙変なる感ありと雖ども、慥かに一顧の価なきにあらず
和田英作 氏の画を見て我は其の鍍の巧みなるに感じぬ否らず、我は其の君子豹変的の態度に服しぬ、彼が今回出品の画たる、色彩と云ひ書き口と云ひ渾て是れ一見舶来的 なり、而かも惜しむべし其の最も必要なる真面目の精神を欠ける結果は、暫くにして其の薄弱なるを看破せしめ、漸くにして嫌厭の感あらしむ、彼の二枚の肖像 画の如きは彼れが多年排斥し居たる旧派中の劣作のみ
岡田三郎氏の作も亦た仏国より其多数を送られたりきといふ、但だ其苦心の作と覚しきもの無きは憾むべ し然れどもセイヌ河の水上、レエボウ山下の夜道、ノオトルダムの眺望など皆見るに価するもの、色彩もよく質量もありて他が片々なる軽薄なるに似やらぬは欣 ぶべし、我れを以てすれば今回場中の白眉とすべきもの氏の画と三宅氏の画とあるのみ
磯野吉雄氏の皷者の画何ぞ夫れ奇なるや、人は曰く是れアフリカ蛮人の 画く所にあらざるかと、我れは井上円了君をして一見せしめんことを望む
白瀧幾之助氏の花嫁は彼の絵草紙屋の前に立つ所の熱人なる観賞家を動かすものな り、道に美人に逢ふてふり顧る彼の多くの美論家をして感嘆せしむるものなるべし、果然各自の感想がヨイなどゝ賞め立てたる新聞もありき、而かも多くの人よ り只毒舌家を以て目せらるゝ我れは、彼の如く十人一様の顔色に服する能はず然り其釣り上れる目、狐の如く狡猾なるべき花嫁の顔は、寧ろ我をして不快の念あ らしめき、我は尚孤独寒生なりと雖ども、後来共に斯る花嫁は貰ふまじと思へり、只此画に於て取るべきものを云へば、其色彩と位置とにあらん(完)

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