東台の秋色(一)

  • 滕六
  • 萬朝報
  • 1898(明治31)/10/22
  • 1
  • 展評

日長が原の深翠に痩れたる色を見ず、清水堂の霜葉ハ猶浅紅を だに染め出さぬに、不忍池畔旅雁一羽の声ありて、立田姫ハ早くも盛粧 を凝らせり、第五号館に、桜が岡に。其第五号館に在るものを白馬会と為し、桜が岡に在るものを日本美術協会絵画展覧会とす。前者ハ後 者より早きこと五日、後者ハ前者より晩きこと五日、各妍を競ふて騒客■杖 を曳く■待つ。
■■本邦固有の美点線、一ハ海外新来の粋陰影、其奉ずる処相背馳し、落つれバ同じ山水人物、然も斉しき神 の掌どる処なるのみならず、協会ハ列品を新造し、白馬会ハ白布を全館に張る、殆ど其盛挙も相斉し、然■■も彼に優る処 ありて、是に劣るところ無からんや。いで!
満場壁となく、天井となく、白布を以て隙もなく張り詰め、光線の為と、場■装飾を旺んにし、金 蕋青葉の■椰子一枝を、各出品、月桂冠となし、出品数三百九十余点 出品人員三十有余名、爰に白馬会ハ形造られたり。
入場第一に眼に映ずるを、広瀬勝平の十五図とす中に漁夫岩上に立つ、魚篭を脇 にしたる大図あり、次を和田英作の十七図とす、美人物を思ふの大図ハ、其中央に掲出されたれど、顔■怒るが如く又驚くがごとく、憂愁の体那辺に在つて存する かを疑ふ、恐らくハ是物を思ふにあらずして、将に発狂せんとする刹那妙とい ふべし。其小図の夕照に至つて、即ち紫派の■色かと思はるゝ処を認む、次に湯浅一郎を通貨して、中沢弘光に移り、其夕映空の野色を図 したるを見て、斑々たる紫点ハ鳥の乱飛するのなるか、木葉の翩々を写したるなるかを疑ひしが遂に要領を得ず、窪田喜作の海浜の図に至つてハ、寧ろ憫笑すべし、初め遠く より見て盤上の林檎と思ひしハ、近まさりて漸く魚篭四五の、行儀能く並びたるなりと 会得したれど、篭口の宛然林檎の切口に似たるぞ浅猿ましけれ

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