白馬会展覧会を見る(続)

  • 伯楽
  • 国民新聞
  • 1896(明治29)/11/08
  • 5
  • 展評

空気
湯浅一郎氏出品日比谷晩景(一八九) 夕陽已に没して乾坤正に暗黒に変ぜんとする一刹那画家の意は空気の研究なる一点にのみ注いで他を顧みる暇なかりしものなるべし初秋の夕暮しかも立初めたる水蒸気と沈み勝なる夕煙が稍冷かなる空気に打混りて宏大なる建築物を包繞したる様は充分成功したるものといふべし
和田英作氏筆矢口のわたし(一〇六) こゝは昔は義興朝臣古戦場の跡なり今は春草萌へ出でゝ堤上には若麦さへ秀でぬ岸に繋げる小舟影を流水に浸せる菜の花蓮花草などの緑草の間に点々たるいづれか懐古の種ならざるべき長閑なる春日の暖かき空気は全幅に溢れて雲雀の声や聴えむ花の香やせむ
久光桂一郎氏筆菓園の春(九四) 雨の翌日なるべし紅花緑芽こきまぜて日光にかほれる頗る妙なり殊に湿りたる空気の静かに霞と共に罩めたる様に至りては絶妙なりといふべし
黒田清輝氏の高野河原の春(一三九) 叡山雪漸く消えて鴨の水静かに澄めりわづかに色づきたる柳は烟の如く又霞の如し正に是れ春風春水一時来の概ありとやいふべき
同氏の菊園(一二八) 此画に対して先づ注目せらるゝは空気のエツフエクトにありものあはれなる秋の末つ方其日の暮れんとする黄昏時さびれたる田園の様は画家の脳中に一方ならぬ刺撃を与へたりと覚ぼし情知らぬ菊商人の鉢植にせんとて引抜きたればにや軟らかき地面は彼処此処荒れ果てゝ取残されし菊の花五株六株竹をたよりに立る様あはれに画かれたり遠く一帯の森は早や立初めし夕霧に包まれて纔かにほの見ゆるは其形美き部分なり空は水蒸気を含める紅の色を浮べ落暉の情は此空にのみにても充分顕はれたりといふべし筆意亦佳なり菊花は画くに二調子位を以てし其葉は緑なるが霜枯れて茶褐色に変じたる様を簡単なる筆もて説明せられたるは難有し
岡田三郎助氏の朝(一六一) 東天日昇らんとして未だ昇らず棚引きたる紫雲斜に裂けたり其間隙に見ゆる大空の茜色は罩めたる淡靄の中に漲り流れて青麦の上に宿せる朝露を黄金色に染めなしたる様やさしくも画かれたるもの哉
小林萬吾氏の風景(七四) こも亦薄暮の空気を研究せられたるものにして前に挙げたる湯浅氏の(一八九)等とひとしき類なるべしされど空気の醇粋なる点に於ては彼と稍趣きを異にせるものと
同氏の風景(七三) 概してかゝる図様のものは写真器械もて撮影したる如き賎しむべき弊に陥りやすきものなるも氏の老手なる能く之を避け細小煩雑たる部分は打措て大体を捕へ得られたるはうれしき限りなり筆軽ろく設色見るべし殊に空気の研究に至ては大に成功したるものといふべし
設色
設色の点に於ては変化極はまりなく今一々其異なれる点を枚挙して之を論評するの暇あらず明快なるあり艶麗なるあり沈着なるあり素朴なるあり十人十種とは実に之をや謂ふべき然れども其明快艶麗なるものは敢て装飾的調色上便宜の為め単に婦女子の目を悦はせんが為めに明快艶麗なる色彩を弄して然るに非ず実に自然に感じ自然を師とし自然の範囲内に最も着実に写されたるものゝ如し沈着なるもの素朴なるものに於ても亦然り今就中其特殊なるものを挙れば
小代為重氏の箱根の湖(八一)、岡田三郎助氏のゆるぎ浜晩暉(一七一)、同ゆるぎの浜の砂原(一六五)黒田清輝氏の散歩(一二七)、同寄せ来る波(一三八)、同大磯鴫立庵(一四八)、湯浅一郎氏の佃島夕陽(一八六)、同芝浦暮雲(一八五)、安藤仲太郎氏の東寺(五四)、白瀧幾之助氏の打寄する波(一二三)久米桂一郎氏の夏の村落(九二)和田英作氏の浜辺の砂原(一一二)同田圃の夕陽(一一四)等其秀なるものなるべし(未完)

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